記念日に書くやつ

King&Prince の記念日に書くやつです

私が出会った最高のアイドル・神宮寺勇太くんと私の夢の話

皆さんはKing & Prince、通称・キンプリというジャニーズ事務所所属の男性アイドルグループをご存知だろうか。

花より男子の続編、花のち晴れに出演した平野紫耀のいるグループだ。

デビュー曲は花のち晴れのOP「シンデレラガール」

そこまではご存知かもしれない。

 

では、そのメンバーの神宮寺勇太くんはご存知だろうか。

きっと大半の人が知らないはずだ。

世間から見ればデビューしたばかり。

知らなくて当然だ。

 

彼は幼い頃からジャニーズのアイドルに憧れていたそうだ。

しかし履歴書を送る勇気はなく、漠然と憧れているだけだった。

そんな彼を見て、彼の祖父は百均で履歴書を購入して、書け。と渡してきたらしい。

彼は2010年に入所。ジャニーズJr.として活動し、2018年にデビューを果たす。

「ワンコインで買ってもらった夢がこんなに大きくなりました」と彼は言った。

 

 

これから書く話は私が出会った最高のアイドル・神宮寺勇太くんと、私の夢の話だ。

 

 

2010年。

中学生の私はテレビで、とある職業の密着番組を見た。

とてもカッコいいと思った。

自分に向いているかもわからないし、どういう段階を踏んで就けるのかもわからない。

夢というにはあまりにも遠すぎた。

まだ中学生だし、明確に将来の夢を持っている友達なんていない。

私も漠然と、あんな風になれたらカッコいいと思っただけだった。

 

同じ頃、ジャニーズ好きの母の影響で少年倶楽部というJr.がたくさん出る番組(以下、少クラ)を見始めた。

友人が好きなB.I.shadowというグループ(以下、B.I.)も出演していた。

B.I.の4人はすごく人気で、きっとこのまま4人でデビューするんだって、私も友人も思っていた。

 

2011年。

ジャニーズから新グループのデビュー発表があった。

SexyZoneのデビューだった。

帝国劇場で行われたデビュー会見で見たメンバーは、3人知らない人。

2人はB.I.のメンバーだった。

友人がすごく悲しんだ。

私も複雑な気持ちになった。

 

いくらグループを組んでいようと、そのグループは人気があろうと、運がなければ、グループの色に合わなければ、デビューという道は掴めない。

ジャニーズJr.とはこういうものかとその時知った。

 

神宮寺勇太くんをきちんと認識したのはSexyZoneのMステ初登場の回だったような気がする。

真っ白な衣装。

ほんの少ししか映らないJr.の真剣な表情の中に、彼の、集中しているが故のぼんやりした顔が混じっていたのを覚えている。

彼が失敗しないか不安だった。

 

その後も少クラで見かける度に、若干、焦点の合っていない瞳で周りを確認しながら苦手なダンスを踊り、カメラに抜かれると苦笑いで誤魔化す彼を目で追っていた。

次第に立ち位置が前になり、名前のテロップが出るようになった。

神宮寺勇太

スゲェ名前。芸名みたい。めっちゃ細い。折れそう。

神宮寺勇太くんの世代は同期が多かったけれど彼だけは名前を覚えた。

そのぐらい、私には浮いて見えた。

自分のやりたいことが明確にあるはずなのに、出来ていないように見えてもどかしかった。

 

そして、2011年12月。

私は神宮寺勇太くんを好きになった。

 

ジャニーズJr.ランド(以下、ジュニラン)という番組の、バルーンアート回。

神宮寺勇太くんが膝立ちで机に腕を乗っけて上を見上げるカットがあった。

そのカットはあまりにも美しくてマジで腰を抜かした。

神宮寺勇太くんって、こんな綺麗で可愛かったっけ……

衝撃オブ衝撃。

ピシャーーーンって雷が落ちるSEがつくレベル。

周りの音が聞こえなくなるってこういうことか。

 

そこから私は神宮寺勇太くんを目で追うようになった。

まだ何もかもに慣れていなくて、キョロキョロと周りを確認しながらテレビに映る彼は、どの項目でも周りのJr.の平均値だった。

なんならダンスは周りより下手だった。

地方住みで在宅オタクな中学生の私には画面越しでしか彼を見ることは出来なくて、先輩のライブのバックについて大勢の中にいたら見つけられる自信はなかった。

 

2012年。

私は高校生になり、漠然とこういう仕事をしたいと思っていたことに近い部活に入った。

それでも、将来の夢は?と聞かれても明確に答えることはまだできなかった。

 

この頃ぐらいから神宮寺勇太くんはしっかりとした視線でカメラを見て、ウインクなどのファンサまでするようになっていた。

彼は急速に成長していった。

周りのJr.の中にいないキャラを把握して、自分をそこに押し込んだ。

 

彼は高校生になった途端、髪を染め、チャラさを前面に出し、周りから逸脱した。

常に同期のJr.のセンターにいた。

ジュニランのライブコーナーでは1人だけ衣装も違い、ソロも歌っていた。

 

彼は貪欲だった。

同期たちが部活のような感覚でJr.をやっていそうな感じ(あくまで主観)の中で、彼は上に上がろうとしていた。

それでも、上に上がるにはまだ知名度と人気、人気が出そうな仕事が足りなかった。

自分でそのキッカケを作ろうとしているように見えた。

 

そのチャラ設定に私が感服したのはジュニランのパジャマパーティー回だった。

みんなが中高生らしい可愛さ溢れるパジャマを着てくる中、彼はヒョウ柄のパーカーを着てきた。

髪もバチバチにセットしていた。

 

あまりにもカッコよかった。

もちろん顔も。

それよりもその姿勢が。

いつそのキャラが崩れるのか不安だった私と打って変わって、彼は全速力で階段を駆け上がる準備をしていた。

 

これまで散々神宮寺勇太くんを目で追っていながら、担当とまでは……と神宮寺担を名乗ることを渋っていた私の腕を、彼はぐっと引っ張って、自分の立つステージの観客席に座らせてくれたような気がする。

 

そこで見ていろ、俺はデビューするぞ。

どんなことがあっても、誰が辞めようとも、誰を裏切ろうとも、俺はデビューするぞ

って声が聞こえた気がした。

「絶対デビューするまで辞めない」

雑誌で公言した時、心を決めた。

 

きっと私はビビってたんだと思う。

B.I.の分断、SexyZoneの鮮烈デビュー、次々と人が辞めていっては新しい人が入るジャニーズ事務所

応援してもデビューするとは限らない。

きっと応援したって悲しいことばっかりだ。

もし、一番応援している人が辞めたら?

それなら、程々にみんな好きぐらいがちょうどいいじゃないか、と思っていた。

 

でもこの人は周りとはきっと違う。

何が違うのかわからない。

デビューするかもわからない。

でも、この人がデビューして輝いていることを見ないと気が済まない!

もう観客席に座ってしまった。

帰れない。

このコンサート、終わるまで絶対帰れない!!

 

神宮寺勇太くんのアイドル人生というコンサートに参戦を決意したのは高校二年生の冬だった。

制作開放席だろうが、天井席だろうが、見切れ席だろうが、神宮寺勇太くんのアイドル人生を観劇できればなんでもよかった。

 

神宮寺勇太くんは同期のJr.のトップをほぼ独走していた。

それでも、越えられない壁があった。

一年先輩の岸優太から上の先輩たち。

越えられないように見えた。

同期だけであればほぼ単独トップ。

そこに先輩が入ればポンっと前に立たれる。

先輩だから当然?

神宮寺勇太くんはそんな男ではないように見えた。どうにか掻い潜って先輩までも抜かそうとしていた。

でも、それにはまだ何かが足りないように見えた。

 

私は神宮寺勇太くんが好きだ。

それでもデビューしていないし、バックダンサーでマイクも持たない。

世間的には何かが足りないはずだった。

あと一歩が欲しかった。

 

そして2013年。

神宮寺勇太くんは幽かな彼女というドラマに出演した。

このドラマで、神宮寺勇太くんは岩橋玄樹と出会う。

いや、すでに出会ってはいたのだけれど。

 

運命のシンメだった。

お互いに真逆のキャラを演じるに当って観察し合う仲だったはずなのに、いつの間にかパーソナルスペースをぶち壊し、とんでもないあだ名をつけ合い、歴代最強シンメが歌い継いできた「欲望のレイン」を歌った。

 

それから2人はセットで扱われた。

雑誌、テレビの企画、ほとんどが岩橋玄樹と一緒だった。

ギラついて誰でも踏み台にしてやるぐらいの勢いで爆走していた神宮寺勇太くんは、岩橋玄樹を懐に入れ、大事に囲い込み出した。

まるで自分から離れていかないように繋ぎ止めているかのようだった。

 

SexyBoyzという神宮寺勇太くんが所属していたグループは次第に形を変え、Sexy Zoneマリウス葉神宮寺勇太岩橋玄樹のシンメ(以下、じぐいわ)でSexyBoysとなった。

 

明らかにテレビに映る量が増え、曲ももらった。

これを狙っていたのかと思うぐらいのチャンス。

いや、チャンスというか、自分たちでシンメの人気を押し上げたじぐいわの勝ちだった。

岩橋玄樹神宮寺勇太くんにとって足りなかったあと一歩だった。

 

その頃、関西からよく永瀬廉と平野紫耀のシンメ(以下、しょうれん)が関東に遊びに来るようになった。

関西からの刺客だった。

シンメという武器を手に入れた神宮寺勇太くんの新たな壁も、シンメだった。

 

しょうれんの快進撃は続き、そこへ髙橋海人が現れた。

髙橋海人はダンスがウマく、事務所に入る前から出来上がっていたが、まだ入所したばかり。

神宮寺勇太くんしか見えていない私は、彼の後ろから爆速で駆け上がってくる髙橋海人の存在を意識していなかった。

 

気づけば髙橋海人は神宮寺勇太くんの横にいた。

正確に言えばじぐいわの間、岸優太の前にいた。

シンメがいないから自然とそこに落ち着くか、なんて悠長なことを考えられたのはほんのわずかな間だけ。

髙橋海人は関東に進出したしょうれんとDREAM BOYZという舞台に出演、曲ももらった。

 

ゾッとした。

あまりの速度にトラウマのようなものがよぎった。

この3人にKINGというグループ名はまだついていなかったけれど、のちのKINGは神宮寺勇太くんの前にポンッと現れた。

 

その頃から神宮寺勇太くんの同期や仲間たちは次々と辞めていった。

彼と一番仲のよかったJr.も辞めてしまった。

それでも彼はアイドルをしていた。彼の心が心配だった。

いつ、誰が辞めてもおかしくない状況だった。

 

神宮寺勇太くんは再び、デビューするまで辞めないと雑誌で言った。

その夢には、岩橋玄樹も含まれるようになった。一緒にデビューできたら、なんて。

ギラついていた神宮寺勇太くんが他人を自分のステージにあげようとしていた。

私は神宮寺勇太くんだけのステージを観ていたはずなのに、いつの間にか岩橋玄樹も立っていた。

 

段々と、のちのKINGと対比するように、じぐいわと岸優太の3人が組むようになった。

でも、クリエでのちのキンプリメンバーで公演することになっても、グループに名前なんてついていないし、この公演のみの組み合わせなのだと思っていた。

デビューってなんて遠いのだろうと、私ですら思った。

 

そして、高校三年生になった私は大学進学を決めた。

三年間部活に打ち込み、夢は明確となった。

中学生の頃に憧れていた職種に就きたいと思い、大学もその専門の大学に進学した。

 

2015年夏。

神宮寺勇太くんはMr.King vs Mr.Princeとしてテレ朝夏祭りのサポーターとなった。

Mr.King平野紫耀、永瀬廉、髙橋海人。

Mr.Princeは岸優太、岩橋玄樹神宮寺勇太

ついにしっかりメンバーが固定しているグループに入れられた。

お金のかかった宣伝に使われた。

もうデビューだ、と思った。

ファンは期待していたと思う。もちろん本人たちも。

 

しかし、地獄はここから始まった。

ユニットを組んだはずのMr.Kingは3人だけでテレビ、雑誌、舞台に出るようになった。

いつの間にかPrinceの前からMr.が取れていた。

 

そして、とても悲しいことだが、私はこの頃から神宮寺勇太くんを視界に入れることが少なくなった。

大学に入学し、忙しさに負けていた。

それに加えて、久々に彼氏ができた。

彼氏には神宮寺勇太くんが好きなことは黙っていた。

出会ったばかりの彼氏より神宮寺勇太くんの方が明らかに好きだった。

俺がいるのに他の男に構うなと言われて、全く見れなくなるのが怖かった。

 

宝物を隠すように、母から送られてくるDVDで少クラとガムシャラ、真夜中のプリンスという深夜のJr.番組だけはこっそりと観ていた。

些細な時間しか観ていないけれど、Mr.Kingの勢いは止まらず、Princeは燻っているように見えた。

 

それでも神宮寺勇太くんはジャニーズを辞めないという自信があった。自分のことでもないのに。

PrinceはMr.Kingより仕事が少なくても、同期のJr.内では人気の方だったので自分が応援しなくても大丈夫だと思っていた。

そのまま、神宮寺勇太くんが何の仕事をしているか把握もしない日々が続いた。

毎年呼ばれていた舞台に呼ばれなかったことも後々知った。

 

そして2016年、夏。

テレ朝夏祭りのサポーターにMr.Kingが就任した。

Princeはいなかった。

 

悲しいことは立て続けに起こった。

サポーターとして曲を貰い、Mステに出演したMr.Kingと共にPrinceも一緒にマイクを持って歌った。

出演名はMr.KingとジャニーズJr.だった。

 

階段を登り続けてきた神宮寺勇太くんが、見えない力で引きずり降ろされていくのがわかった。

Mr.Kingにはドラマに映画、舞台、雑誌、仕事がたくさんあった。

Princeに新しい仕事はなかった。

 

2017年、冬。

 

この頃にはもうPrince3人は強く手を握り合っていた。

私の知らない絆が、神宮寺勇太くんの周りで輝いていた。

越えるべき壁だった岸優太は仲間になっていた。

神宮寺勇太くんは3人で一緒にデビューできれば、と言った。

 

そして私は、大学4年生になろうとしていた。

そろそろ就職活動も解禁となった頃、とんでもないチャンスを掴めるかもしれない試験があることを知った。

夢を叶えるための大きな一歩になるような。

詳しくは言えないが、あまりに大きなプロジェクトだった。

大学内で200人の応募者の中から12人が参加できるプロジェクト。

就職活動もあるけれど、誰が何と言おうと受けるしか選択肢はないと思った。

そして、その試験を勝ち抜いた私は2018年の9月まで大学に引きこもる事が決定した。

 

2018年1月。

大学から帰宅していた時、友人からラインが送られてきた。

「デビューおめでとう」

何のことかさっぱりだった。

私はネットで、神宮寺勇太くんがデビューすることを知った。

 

次の日、プロジェクトに行くために早起きした私は情報番組で流れるキンプリのデビュー会見をぼんやり見ていた。

5月にCDデビュー。

忙しさに、嬉しさも追いついていなかった。

 

それでも、キンプリが記事になった新聞は買えるだけ買った。

家に帰ってベッドに新聞を並べた。

なんでかわからないけど泣いていた。

神宮寺勇太くんは自力で夢を叶えた強い男だと思った。

 

その後も、私はプロジェクトに通い詰めながら就職活動も行い、隙間時間に卒業制作も進めていた。

第一志望の会社は私がなりたい職種になれる、業界で一番大きな会社。

会社はなりたい職種とは違う職種しか募集していなかったけれど、就職して努力すれば希望する職種に就けることも可能だと知って応募した。

 

私はキンプリがデビューするまでに何をするのか知らなかった。

Sweet gardenも予約が終わった時に存在を知ったし、そもそも知っていても距離的にも日程的にも行けなかった。

私があまりにも静かだったため、母はいい機会だし、ジャニーズオタクを卒業したら?と提案してきた。

 

私はジャニーズだから神宮寺勇太くんが好きとかそういうことではなかった。

ジャニーズというジャンルの括りならもうとっくに卒業していた。

神宮寺勇太という人が好きだった。

 

CDはもちろん買った。

忙しく、しんどい毎日の中で唯一楽しみにしていたことだった。

神宮寺勇太くんの声をしっかり聴ける音源が嬉しくてしょうがなかった。

花晴れも母に録画してもらって観た。

OPのいいタイミングで流れるシンデレラガールに意味もなく泣いていた。

 

キンプリはすごい勢いで有名になっていった。

プロジェクトで仲良くなった非オタの友達でさえ、もう5月にはグループ名を知っていた。

ファンクラブができたことも、ライブツアーの存在も知っていたけれど、入らなかったし応募もしなかった。

その時の私に神宮寺勇太くんを応援する気力はなかった。

プロジェクトと就職活動に全力を注いでいた。

自分の夢が叶うかもしれないチャンスだった。

 

ふとした時に、まだグループにも入っておらず、ギラギラしていた神宮寺勇太くんのことを思い出していた。

彼は、私にとって夢を叶えたお手本のような人だった。

自分の夢を叶えるには、あのぐらい貪欲でなければ。

私は割となりふり構わないぐらいの勢いでプロジェクトと就職活動に向き合った。

東京に遠征している時期がちょうど、キンプリのファーストツアーの時期だった。

駅でキンプリのファンとすれ違わなくてよかった。

きっと、すれ違ったら泣いていた。

 

プロジェクトが終了した時、キンプリのファーストツアーも終わった。

そして、私の就職活動も終わった。

第一志望の会社に内定をもらった。

面接の際にはもちろんプロジェクトのことを多く聞かれた。面接官の上司はプロジェクトを取材してくれたテレビの放送も見てくれたようだった。

人生で初めて、自分の努力が実った瞬間だった。

 

私はようやく、神宮寺勇太くんはこれからどんなお仕事をするのだろうと思い、ツイッターを開いた。

デビューしてから好きになったというファンがたくさんいた。

最高に嬉しかった。

シングルは予想以上に売れ、彼らは新人アイドルという枠を超えるほどにテレビや雑誌に出演した。

 

そんな中、Ride On Timeというドキュメンタリー番組が放送されることになった。

初回はキンプリの密着で、彼らのこれまでの傷跡を見せるようなアイドルの密着とは思えない深入りの仕様だった。

そして私は、神宮寺勇太くんを応援出来なかった大学生の間を猛烈に後悔することになる。

 

彼はインタビューで、18歳の頃はドン底だったと振り返った。

Mr.Kingにばかり仕事が来て、自分達には仕事がない。

やりたいけれど仕事がないなら辞めるべきなのかもしれないと一瞬迷った。

それでも、Prince3人で話し合い、今がドン底だからもうこれからは大丈夫だよねと続けることにした。

 

彼はよく行くという寺院の中で、穏やかに語っていた。

どれだけ辛かったのかわからない。

みていないから。

みていてもわからなかったかもしれない、本人じゃないから。

でも、応援ぐらいは出来たはずだ。

手紙を書いて、載った雑誌のアンケートも書いて、SNSで何かしらの行動をしたり。

どれだけ1人の力が小さくても、1人1人の力が積み重なって大きな力になる。

みていればそういうことが出来たはずだ。

 

みていれば。

 

私はボロボロに泣きながら神宮寺勇太くんのインタビューを聞いていた。

可哀想とかそういう感情じゃなくて、申し訳なさが勝っていた。

ごめんなさいという涙だった。

デビューしてほしいなら、応援してあげるべき時期だった。

一番辛い時に応援してあげられなくて何がファンだ。

彼らの努力と決意で作られたパフォーマンスを娯楽として消費していた自分に腹が立った。

 

それからすぐに、岩橋玄樹パニック障害の治療に専念するため、活動の一時休止を発表した。

岩橋玄樹は頭のいい子で、時期を測ったようだった。

それでも戸惑っていたメンバーもいた。

神宮寺勇太くんはJr.の頃から唯一、岩橋玄樹の病気のことを知っていた。

私ですら寂しくなったのだ、この5、6年を一緒に駆け抜けてきた相棒が一時的とはいえ、いなくなるのはどんな気持ちなのだろう。

 

神宮寺勇太くんとキンプリのメンバーはテレビや雑誌に出るたびに岩橋玄樹へ言葉で、ハンドサインで、演出で、ダンスで、待っている事を伝えた。

人によってはプレッシャーになってしまうかもしれない呼びかけも、岩橋玄樹にとっては大事なものなのだと思う。

岩橋玄樹という人を理解して、彼にしてあげられる事をメンバーが考えて行動しているように見えた。

 

ファンも悲しみに慣れ始めた頃、キンプリは紅白歌合戦に出場が決まった。

デビューして1年も経たずに初出場を果たした彼らは表向きには祝福された。

 

ネットではメチャクチャに叩かれていた。

キンプリの先輩グループのオタクたちは、私の応援しているグループはまだ出ていないのに、とか、調子に乗っている、事務所に推されているだけ、と挙ってキンプリを叩き出した。

 

死ぬほど悔しかった。

なんだこいつら、と思った。

どう考えたって責任転嫁が過ぎる。

貴方達の応援しているグループが紅白に出られないのはキンプリのせいじゃない。

紅白だけじゃなかった。何かにつけてジャニーズの不祥事はキンプリのせいにされた。

 

私はこれに対抗すべく、神宮寺勇太くん及びキンプリに愛を伝えるだけの動画を撮り、Twitterにあげた。

これを機に、お友達もできるといいなと軽い気持ちだった。

3本目ぐらいの動画を夜にあげて、寝て起きたら大変なことになっていた。

端的にいうとジャニオタの中でバズっていた。

焦った。

そんなつもりじゃなかった。

ただ好きだという気持ちを話していただけなのに、だれかが笑顔になっている事を知った。

 

私の動画を見て、神宮寺勇太くんが気になりだした、好きになった、魅力がわかったという言葉をもらうようになった。

メチャクチャ嬉しかった。

自分のできる事を最大限にできているような気がして。

もし私が、また神宮寺勇太くんを応援する気力がない時がやってきても、私以外のファンが彼を支えてくれるだろう。

もしかしたら、私の動画を見てファンになった人も彼を支えてくれるかもしれない。

最高に嬉しい事だ。

 

そして2019年4月。

私は内定をもらった第一志望の会社に入社した。

そして、入社式の後、上司に呼ばれた。

募集していた職種と違う職種についてほしいとのことだった。

配属先は、中学の時に憧れた職種。

大学での専攻、大きなプロジェクトへの参加などを踏まえて、選ばれたのが私だった。

 

中学の頃からの夢を叶えた瞬間だった。

高校も、大学も、その夢に突っ走った。

突っ走っていたために神宮寺勇太くんを応援していなかった時期もあったけれど、きっと必要な時期だったのかもしれない。

 

私は、たまに神宮寺勇太くんが言っていたある言葉を思い出す。

 

「本当に好きな人ができるまで、俺のこと好きでいればいいよ」

 

楽しい学生生活、恋愛、いろんな自由、すべて捨ててアイドルとして活動してきた自分を消耗品のように言った。

好きな時に俺のことを応援してくれればいいよって、そういうことだと私は解釈した。

都合がいいかもしれない。

でも、夢を真っ直ぐ見据えて突っ走ってきた神宮寺勇太くんなら、夢を追いかけて他のことに構ってられなくなったら、俺のことはいいからそっちに集中すべきだと言ってくれるような気がする。

話したことないからわかんないけど。

 

夢のために誰かと戦わなければならない時、誰にもその夢を求められていないかもしれないと不安になった時、アバウトだけど苦しい時や辛い時、私は神宮寺勇太くんを思い出す。

同じ気持ちになんて絶対なったことないけど、圧倒的に自分より努力するステキな人を知っていることは私の強さだと思う。

私の夢は、自分で掴んだのかわからない。

4分の1、いや3分の1ぐらい神宮寺勇太くんのおかげかもしれない。

あの方向に走っていけばいいと教えてくれる。

神宮寺勇太くんは私の光だ。

 

そんな彼は5月23日でデビュー1周年になる。

神宮寺勇太くん、次の夢は何にする?

国民的アイドル? 5大ドームツアー? CDミリオン達成?

あ〜……動物苦手治す? ボールと友達になる? ねんね卒業する?

なんでもいいよ。

君の夢が叶うようにいつも祈っている。

 

神宮寺勇太くんだけのステージを観ていたはずなのに、いつの間にかステージには6人立っていた。

みんな、超えなきゃいけない壁だった。

最強のライバルだったみんなは、最強の味方になった。

神宮寺勇太くんが1人でみていた夢に、岩橋玄樹、岸優太、平野紫耀、永瀬廉、髙橋海人が含まれるようになってから1年。

誰が辞めてもデビューしてやるぐらいの勢いで突っ走っていた神宮寺勇太くんが、グループを定食で例えたら自分は味噌汁だって言ったんだ。

笑っちゃうよね。

グループで一番間をとっている真ん中の立場だからってさ。

味噌汁って好きな人は好きだし、なきゃないで寂しいでしょ?って彼は言った。

メンバーも、彼はグループのバランサーだって言う。

私はデビューしてからキンプリを知った友達たちによく、どうして神宮寺くんが好きなの? 一番普通じゃない? とよく聞かれる。

 

普通じゃない。

彼は天性のものを持ちながらも驕らず、努力してきた天才だ。

本人も、俺は顔が派手だから普通のことをしているだけで、すごく真面目に見えるから得しているって彼は言っていたけど、普通以上のことをしているからみんな驚くんだよ。

人への気遣い。周りを見る目。

言っちゃ悪いけど最初は下手っぴだった、ダンスと歌。

上手だねって言われるまでになった。

彼の魅力は初見では分かりづらいものも多いと思う。

でも、私にとって彼は最高のアイドルだ。

 

誰にだって、強烈に憧れる人がいると思う。

私にとっては神宮寺勇太くんがそういう存在であって、他の人にとってもそういう存在になれる人だと思っている。

君たちはきっとこれから、たくさんの人に愛されて、おっきいグループになるんだろうな。

なんかそんな気がするよ。

 

家族、友達、ファン、誰かを救うことに重きを置いてアイドルをする平野紫耀

人見知りで暗い自分を変えてくれたアイドルという職業に誇りを持つ永瀬廉。

自分に自信がなくていつも不安なのを押し切り、メンバーとファンのために努力を重ねる髙橋海人。

コツコツと努力を重ねれば行きたい所に行けることを知っているリーダーの岸優太。

病気と闘いながらファンを愛し、期待に答え続ける天性のアイドル岩橋玄樹

熱烈にアイドルに憧れ、夢を叶え、静かに闘志を燃やし続ける神宮寺勇太

 

まだ、デビューして1年。

King & Princeの夢は始まったばかりだ。

きっとこれから、たくさんの悲しいことが起こる。

神宮寺勇太くんがドン底だと思っていた18歳の日々より苦しい日々が訪れるかもしれない。

そんな時、私は彼を応援しているだろうか。

恋の魔法には期限がある。

時が経てば宝石もガラス玉さ、って。

彼らはデビュー曲で歌った。

かなり残酷なことだと思う。

永遠というものはないし、同じものだけを愛し続けることはほとんどない。

私だってそうだ。いつまで神宮寺勇太くんのことが好きかはわからない。

 

でも、今は君が好きだ。

この想いが君に伝わることはきっとないけれど、それでも今、君が好きだ。

神宮寺勇太くん、君は私の希望だ。

君が輝いている世界なら私でも生きていけるかなって、思いながら生きてるよ。

多分、君がいなくても生きていけるんだけどさ。

でも、君がいたから、私の人生は結構いいものになってると思うんだ。

デビューまでの8年間、デビューしてから1年間。

どうもありがとう。

 

 

これから、悲しいことがたくさん起こるかもしれない。

 

でも、きっと楽しいこと、嬉しいこと、それ以上の感動が待っているはずだ。

人のために頑張れるメンバーがいること。

君の幸せを自分のことのように願っている人がいること。

君のことが大好きな人がいること

こんな素敵なことだけ、忘れないでいてくれれば私は何度でも君の魔法にかかることができる気がする。

 

デビューしたから、君に明確なゴールはなくなった。

だから、いつまでも走り続けてくれ。

 

私も、いつまでも走り続けよう。

もう次の夢も決まった。

神宮寺勇太くんのことを忘れるぐらい無我夢中で走り続けていた大学時代に見つけたもうひとつの夢だ。

君の光を感じながら、私は準備運動を始め出した。

君のアイドル人生を観劇し続けるのも、もちろん私の夢だ。

君が夢を叶え続ける限り、私の夢も続いていく。

 

神宮寺勇太くん。

君が死ぬ時が、君のアイドル人生の終演だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなクソ長ブログを読んでいただきありがとうございました。

よろしければ、少しだけ、一瞬だけでもいいので、King & Princeを応援していただけると幸いです。

 

 

貴方の夢も叶いますように。