時代の王者になる君たちへの免罪符
5月23日になって思うこと。
また、この日がやってきた。
5月23日はKing & Princeのデビュー記念日。
2020年の今年は、2周年だ。
2018年にデビューしてから、毎年やってくることになったこの記念日。
去年は1年目だったからすごく感慨深くて、自分が神宮寺勇太くんを好きになってから今まで、彼に感化されて夢を叶えるまでのブログを書いた。
もう、これ以上、書くことなんてないって思った。
きっと次にこんな想いを込めた文章を書くのはもっと、未来になると思っていた。
5年後とか10年後とか、もっと未来。
でも今年は、過去を振り返ってとかじゃなくて、今、思ったことを書かなきゃって。
私は、いつ来るかわからない終わりを怖がっている。
彼らの人生が終わるまで、ずっと続いていくと思っていた嵐の活動が休止した。
ずっと当たり前のようにいると思っていたジャニーさんが亡くなった。
絶対帰って来ると信じている岩橋玄樹の復帰が見送られて1年半経った。
私たちは、彼らの何をみているんだろう。
姿が見れなくなったら、終わりなのか。
声が届かなくなったら、終わりなのか。
アイドルとして存在がなくなったら、終わりなのか。
今、私は、神宮寺勇太くんが死んだ時のシュミレーションをしているとさえ、思っている。
徐々に減っていく彼を見る回数、自粛前に撮影されたであろうテレビ番組の放送、宙ぶらりんのまま発売が延期されていくシングル。
怖いって純粋に思った。
人が人のことを忘れる時はまず、その人の声が思い出せなくなるらしい。
大丈夫、私はまだ、勇太さんの声を思い出せる。
毎日、声を思い出すようにしてる。
曲聴いて、あ〜これこれ、じゃなくて、ちゃんと自分の力で思い出せるように。
死んじゃったら、こんな感じなのかな。
実際、私は神宮寺勇太くんと会ったことも話したこともないから死んだって何かあるわけじゃない。
連絡だって私がファンクラブに入ってなかったら来ないし、葬式に行って遺体を目にすることなんて絶対ない。
じゃあ、勇太さんが死んだら、私は。
このまま、なのかな。
徐々に勇太さんを見る回数が減って、出演したテレビ番組の放送も無くなって、シングルは、発売されない。
私は、勇太さんの声を、CDを聴かないと思い出せなくなって、そんで、
怖くねえか。
それってものすげえ怖いことなんじゃねえの。
本当にいなくなっちゃうって、どうなっちゃうんだろう。
怖いよね。
わかんないものって怖いもん。
もしかしたら誰かが彼らを殺す可能性があるって、久々に思った。
思い出したくもないけど、ライブで水鉄砲かけられた時もそう思った。
あれの中身がもし水じゃなくて、やばい液体だったら。
ゾッとした。
彼らも人間なんだった。
死ぬんだ、いつかは。
じゃあ、彼らが死ぬまでに、私はなにができるんだろう。
実際死ぬまでじゃなくても、アイドルの存在として死ぬまでに。
心の支えとして彼らを頼ってちゃダメなんじゃないか。
何かできるって言っても彼らに直接作用する事じゃなくて、自分に対して、だ。
結局私たちは自分たちの精神的支柱として彼らをみている。
それは平野紫耀がアイドルを続けた理由として話してくれたように、アイドルの仕事として重要なものだ。
私は、できる事なら過激に生きたいと思っている。
人生は一回しかないから、楽しい方がいい。
好きなものは大事にしたいけど、そのせいで縛られてしまうならいつでもどこでも何かを切り離せる人間でいたい。
たとえそれが、自分の人生を変えたものであっても。
好きなものを手放したとしても、自分を持っている人でいたいと思う。
「アイドルも人を救うことができる」
っていうのは多分、辛くて辛くてしんどくて、自分の大事なもの全部なくなって、何を大事にして生きていったらいいのかわからなくなった時に自分に笑いかけてくれたり、励まそうとしてくれてる人がいるって気づくきっかけになるってことなんだと思う。
それは自分はひとりじゃないって、世界は案外明るいって、自分には未来があるって思える様になるきっかけだと思う。
でもそれは、窮地をアイドルに救ってもらっただけで、アイドルを心の支えにするってことじゃない。
彼らはなくなったら生きていけなくなるような支えになりたいわけじゃない。
彼らがいなくなっても、私たちは生きていかなきゃいけないから。
何かに、誰かに、想い入れることは決して悪いことじゃない。
何も信じないよりいい。
でも、自分の理想・イメージ・期待をアイドルに押し付けるのは違う。
私は、愛することは許すことだと思う。
近づいても、離れても、いなくなっても。
これは図らずしも神宮寺勇太くんの愛の定義と同じだった。
愛することは許すことだ、と彼も言ったんだ。
ねえ、神宮寺勇太くん。
そういうことなのかな。
私がたまに思い出す彼の言葉。
「本当に好きな人ができるまで、俺のことを好きでいればいいよ」
少し前の私は『本当に好きな人が貴方の場合は、どうしたらいいの』とか『貴方は私の中でそんな、隙間を埋めるための消耗品じゃない』って少なからず思ってた。
言葉を言葉の通りに受け止めすぎてた。
私は去年のブログで『好きな時に俺のことを応援してくれればいいよって、そういうことだと私は解釈した』って書いた。
まぁ、そういう意味だとは思うんだけど。
もっと深いところまで見せてくれた一言だったんじゃないかなって。
いいよってことは、許してくれるってことだ。
例え俺のことを好きじゃなくなったって、もっと好きな人ができたって、俺は君のこと許してあげるよって。
それは悪いことじゃないよって、教えてくれたんだ。
神宮寺勇太くんだって、終わりが怖くないわけじゃない。
誰だって興味をなくされるのは怖い。
アイドルにとって興味をなくされるのは捨てられるのと一緒だ。
だけど彼は、もっと大事なものができた時に切り離すべきは実際に何か影響してくるわけじゃないアイドルだってわかってる。
大事な人ができた時はアイドルに使っていた時間をその人への時間にすべきだし、自分に必要な投資ならアイドルに使っていたお金はそっちにまわすべきだし、もっと楽しめるものが見つかればそれを楽しむべきだ。
自分のファンを辞めて欲しくなんてない。
みんなの声が大きくなって、自分がもっと大きくなれば、きっと、昔は救えなかった人まで手が届く。
それでも、身を滅ぼしてまで自分を応援して欲しいわけじゃない。大事なものを捨ててまで自分を選んでほしいわけじゃない。
勇太さんのあの言葉は、人生において大事な決断をする時に、自分を切り離すことを選んだとしても許してあげるよってことなんだと思う。
それって、すごい愛じゃないか。
私は基本、浮気を許すタイプだ。
浮気をしても自分のところに戻ってくればそれはいろいろ寄り道したけど結果としてお前が1番だよってことだと思うし、戻ってきてくれるなら許す。
それが愛だと思うから。
でも勇太さんは、戻ってこなくても許してくれるって。
確かにアイドルとファンの関係と恋人や夫婦の関係は全然違うけど、勇太さんがファンに向けている愛情は本物だと思う。
許しの言葉は、企画やコンサートの時に言う甘い言葉よりも、ずっとずっと、愛を感じる。
それなら私も、彼を許したい。
世間的な彼のイメージを壊しても、
残念な行動をしてしまっても、
特定の誰かを愛してしまっても。
志半ばで死んでしまっても。
私は甘く愛を囁くような愛し方ではなくて、ただ相手のために紅茶を淹れるような愛し方をしたい。
緩やかで、暖かくて、相手が受け入れてくれなくてもいいような、そんな愛し方。
それは正しく、許すことだと思う。
私が相手のために紅茶を淹れて、それを相手が受け取らなくても許してあげられる愛し方をしたい。
それはきっと自分にもいいはずだ。
過度に相手に期待しない。
期待を裏切られても、許してあげられる。
そんな愛し方。
まぁ、そこらへんは神宮寺勇太くん及びKing & Princeのメンバーを信頼しているので、私の期待なんて裏切るどころか軽々超えてくるとは思っているんですけども。
彼らはきっと近い将来、世界に進出する。
無言実行もできる彼らがわざわざ言葉にして目標にしてるんだ。
ジャニーさんとの約束って、言ったんだ。
約束を破るような彼らじゃない。
その約束を果たした時、どうか、彼らが遠くへ行ってしまった、手が届かなくなってしまった、なんて、言わないであげてほしい。
その時こそまさに、愛しているなら許してあげるべき瞬間だ。
元々遠い存在の人だ、元々手なんて届いてない。
近いと思わせてくれてただけだ。
日本にいようが世界にいようが、彼らと私たちの心の距離は変わってない。
私たちが許してあげなくても、彼らは前に進んでいく。
苦しいのは私たちだ。
彼らのために、彼らを許してあげるべきだって言ってんじゃない。
自分のために、彼らを許してあげるべきだ。
彼らに過度な期待を寄せてしまった自分のために。
それなら、私にもできる。
近づいても、離れても、いなくなっても、許してあげることは私にもできるし、それができれば私はいつでも大切なものを切り離せる人間になれる。
平野紫耀くん、あなたがもし時代の最前線を走れなくなる事態になったとしても。
永瀬廉くん、あなたがもし努力に裏切られてくじけそうになったとしても。
高橋海人くん、あなたがもし多数に愛されるが故の寂しさに負けそうになったとしても。
岸優太くん、あなたがもし純粋な心を汚されそうになったとしても。
岩橋玄樹くん、あなたがもし愛情に潰されそうになったとしても。
神宮寺勇太くん、あなたがもし私たちが離れることを許してくれない日が来たとしても。
私は、あなたたちを許せる人間でありたいです。
King & Princeは世間から見ればまだまだ駆け出し。
名前だって覚えてもらえてない人も多い。
グループとしての名前は知っていても個人の名前は知らなかったり。
これからどんどんファンが増えていく。
ファンが増えれば増えるほど、気に入らないこと期待外れなことが増えていく。
期待外れなことはアイドル自身の問題だけじゃなくて、増え続けるファンに対してもだ。
学生の子たちは、私の方が先に好きだったのに突然クラスの明るい子がハマってキンプリオタクといえばその子みたいになっちゃってる、とか。
大人たちは、自分の世代とは価値観の違う若いオタクがたくさん出てきてTwitterもコンサート会場もなんだか居心地が悪い、とか。
新規は、自分が応援してなかった時代を知る人たちがたくさんいて腰を低く保つのも辛い、とか。
古参は、思い出話をしようとも昔のことを言うだけで古参ぶってウザいとか思われたらどうしよう、とか。
好きになってまだ年月が浅かったら謙虚に勉強させてもらいますって姿勢でいてほしい?
私の知らないことをさもよく知っていますみたいな顔をしないでほしい?
尊敬しあえなければ人は一緒にはいられない。
それは他人の自由を認めて、理解しようとするってことだ。
確かにどれだけ理解しようとしても分かり合えない人間もいる。
そういう人たちとはもう距離を取るしかない。お互いのためにだ。
でも相手の言動が理解できない訳じゃないのにすごく気に入らない時は多分、自分に原因があって。
自分のポリシーとか過去の経験、いろんなことを踏まえて、気に入らないなって思ってしまう。
それはこだわりが強くてそれに背く行為が気に入らなかったり、過去に痛い目をみてそれを思い出すから気に入らなかったり、憧れや嫉妬だったり。
許せないんだと思う。
相手は自分の許しなんて必要としていない。
許しが必要なのは自分だ。
自分で自分の首を絞めてる。
自分で自分を不快にしてる。
許してあげることは自分のためだ。
アイドルのことも、仲間のことも。
King & Princeのみんな、デビュー2周年おめでとう。
去年に比べたら圧倒的に知ってる人も知られてる曲も増えたね。
とても嬉しいです。
わたしが夢を叶えて入った会社でもキンプリって言っても伝わるようになったんだ。
会社の人にテレビ観たよとか言われるんだ。
鮮烈なデビューから2年。
もうこれからの3年目は駆け出しとか新星なんて言葉は使えない。
たくさんの人が君たちを見てるよ。
君たちは男の子だから努力や苦労をしている姿をカッコ悪いから見られたくないって思うかもしれない。
大丈夫、カッコいいよ。
ジャニーズが世界に羽ばたくなんてって、時には雑音も聞こえるかもしれない。
親切を履き違えて、無理だという人もいると思う。
君たちの努力を笑う人もきっと出てくる。
でも、そんな声に耳を貸す必要はない。
間違えないで。
君たちの正しい努力は裏切らない。
そのまま進めばいいよ。
ジャニーズはチャラチャラしていて楽そうだねって、そう思われてるぐらいがちょうどいいって。
君たちの先輩も言ってた。
言いたいヤツには言わせてこう。
勝手な奴らには時々、見せつけてやるんだ。
何か、圧倒的なものを。
君たちは、存在自体が圧倒的だ。
いつかポケットに手を入れて立ってるだけで歓声があがるようなスターになる。
その時、私たちファンのことを気遣って立ち止まったり、ファンの言葉が聞こえてきて振り返ってしまったり、そんなことはしなくていいよ。
君たちを応援できる人が、応援してる。
信じて、許せる人だけが応援してる。
ついてこられない人たちは置いて行ったっていい。
大丈夫。
私たちは君たちを信じて、許しているよ。
何も気負うことはない。
君たちは自由にやればいい。
2020年。
ジャニーさんが待ちに待っていたこの時代。
この時代の王者になるのは君たちだ。