記念日に書くやつ

King&Prince の記念日に書くやつです

神宮寺勇太くん、22歳の誕生日おめでとうございます

 


神宮寺勇太くん、22歳の誕生日おめでとう。

君に出会ってから9回目の誕生日。

 


歳を重ねれば重ねるほどかっこよくなっていく君に、私は少しでも感謝を返せているかな。

 

 

 

 

 

 

毎日お仕事頑張ってくれてありがとう、輝いている君の姿、いつも見てるよ。

 


一歩一歩前に進む努力をしてくれてありがとう、歩いていく君の足音、いつも聴こえてるよ。

 


ファンやお仕事のことをいっぱい考えてくれてありがとう、思考している君の言葉、いつも感じてるよ。

 

 

 

今日は君の誕生日だから、たくさんの愛と感謝を伝えたいよ。

 


毎日頑張ってくれてありがとう。

アイドルという職業を選んでくれてありがとう。

生まれてきてくれてありがとう。

 

 

 

私が神宮寺勇太くんを好きになったのは中学生の頃で、あの時の私は本当に君に救われていたんだ。

 


誰かの誕生を祝う時、それは生まれてきてくれてありがとうって思う時で、いつも、命のことを考える。

 


生きることってなんなんだろうって。

 


私は誰かの生命を考える時、自分の価値を考える。

 

 

 

 


突然だが、私は軽度のアスペルガー症候群だ。

私が社会で生きづらいのはそれだけのせいじゃないけど、自分と社会とのズレに1つ名前がついたのは有り難かった。

 


私は両親に愛されているし、父は受験勉強している私を遊びに連れ出したりする愉快な人だし、母が教育で心がけていたのは姉と私を比べず平等に接することだったから家族の中で息苦しさも劣等感も感じることはなかったし、姉はいつも楽しいことを私に教えてくれたし、友人にも恵まれているから自分が不幸だと思ったことはない。

 


だから自分と社会のズレを露呈して自分が不幸みたいにアピールするのは、本当は嫌だ。

自分より不幸な人の方が多いし、私の人生は幸せだ。

 


でも誰かが言わなきゃ、って思う。

しんどかったー、って。

しんどくて、家族の前でも傷ついた顔したくなくて、シャワーで声と涙を誤魔化しながら泣いてた子が、今も生きてるってこと。

 


まぁ、今しんどい子がいたとしてもその子の痛みはその子だけのものだから、わかるよ、なんて無責任に同情の言葉をかけたりはしない。

でもどうか、自分の価値をさげるようなことはしないでほしい。

こんな、今のところアララ〜って人生送ってるヤツでも生きてるし、自分の価値はこれだって思ってることを今から書く。

 

 

 

 


自分に価値ないかもと考えるまでって他人からみればそんなことで?って感じだけど結構しんどい。

 


私は人より心配性ですごく気にしいだ。

そのくせ正義感が強く、いつも人の顔色を気にしてしまう。

アスペのせいか、人の言っている言葉が認識できない時も多いし、言葉に含まれている意味を汲み取るのも苦手で、汲み取りすぎることもある。

 

 

 

小さい頃から漠然と、生きづらいなって思ってた。

小学校の頃は同級生たちと意思疎通が上手くできず突然泣いては周りを困らせていたし、中学の頃は女子生徒全員から無視され、机に死ねと書かれたこともあった。高校の頃は性被害にもあって、言葉にできない違和感から不登校にもなったし、大学の頃は心から信頼していた人間に裏切られたこともあった。

 

 

 

そんな私はよく、自分の価値を考える。

いろんな人に迷惑かけたり、私に危害を与えてしまうぐらい相手に嫌な思いをさせてる自分の生きてる意味ってなんだろ、価値ってなんだろ。

私が生きていることで、世界にどういう影響があるんだろ。

 

 

 

もしかして私、生きてなくてもいいんじゃない?

 

 

 

こういうことって普通の人は考えないんだって、大人になってから知った。

どんな人が普通の人かはわからないけど、普通そんなこと考えないよって誰かに言われた。

 

 

 

で、これがどうして神宮寺勇太くんに繋がるかっていうと。

 


安心して。

彼が私の生きる意味なんて重いこと言わないから。

 

 

 

誰かを好きでいること。

 

 

 

これが生きる意味なんじゃないかって思う。

それは同じ学校の先輩でもいいし、アイドルだっていいし、アニメのキャラでもいいし、ご両親でもいいし、友達でもいいし、自分でもいい。

 

 

 

私はいつも誰かを好きだった。

それは同級生の男の子だったり、嵐の二宮和也だったり、アイドリッシュセブンの六弥ナギだったり、俳優の木村達成だったり、ジャニーズJr.の、Princeの、King & Princeの神宮寺勇太だったり。

 

 

 

どれだけ負の感情を自分に向けられていても私が、誰かに、何かに、好きの感情を向けられていたら、それだけで私の生きる価値になる。

そう思うんだ。

その気持ちに向こうが気づいていてもいなくても。

 

 

 

 


生まれてきてくれて、アイドルになってくれて、夢を見続けてくれて、ありがとうって言えるだけでもいいんだ。

なんでもない日にこんなこと言ったら、あ〜そういう人なんだねってなるだけだけど、今日は君の誕生日だから。

 


いっぱいの愛を伝えたいよ。

 


君に誰がなんて言おうと、何があっても、君を好きな人がここにいる。

 


それだけで君の未来の何かに繋がるし、私の生きる価値も生まれる。

 


ホント、こんなこと書いて何になるわけ?みたいな。

お前がアスぺとかいじめられてたとかマジどうでもいいよ、共感されたいだけでしょって、悲しいこと書くと割とよく言われるセリフ。

 

 

 

すべてを他人に共感してもらえるなら、その人がそこにいる意味ってないのでは?『共感』なんてどうでもよくない?

ってこれは私の好きな詩人の言葉。

 


共感なんてどうでもいいって言葉に共感したってのもホントおかしい話だけど。

多分、この言葉は私に共感すんなって話じゃなくて、みんなに共感されてもそれはお前の価値じゃないし、誰にも共感されなくてもそのズレはお前の生きる意味だぞってことだと思う。

 

 

 

わたしの考えはわたしのもの。

あなたの考えはあなたのもの。

押し付け合うものではないし、どっちが正しいって決めつけられるものでも無いと思う。

 

 

 

神宮寺勇太くんの誕生日はいつも、わたしの人生に現れてくれてありがとうって思う。

 


わたしの過去はわたしが一生負っていく傷。

痛みは消えないけど何かを好きでいる時、その痛みは誤魔化せるんだ。意識の中に紛れていくんだ。

 

 

 

わたしの価値は誰かを好きでいること。

誰かに愛を捧げること。

 

 

 

どれだけ誰かに傷つけられようと傷つけてしまってもその痛みや苦しみは誰かを好きでいれば紛れていく。

忘れることはないけれど、誤魔化せる。

 


神宮寺くんがわたしの人生に現れていなかったら、きっとわたしは他の誰かを好きで、その人への好きで痛みを紛れさせていたのかもしれない。

でも、きっと、小さい、沢山の愛で紛らわしていたとは思う。

こんな、大きな、1つの愛で傷を隠せていたとは思えない。

神宮寺勇太くんはわたしの人生の絆創膏だね。

ちょっと変なこと言ったごめん。

 

 

 

改めて、神宮寺勇太くん。

22歳の誕生日おめでとう。

沢山の人に祝われて、沢山の人を愛し、愛されて、君は成長していくんだね。

 


君の未来が明るくなるように、照らしてあげたいよ。

君が思うより、わたしたちは君のことを思ってるよ。

どうか幸せな22歳を!!

 

 

終わらない夢の第2話

 

夢ってなんだろう。

私の中で夢って、明確な目標を達成していった先に待つ漠然とした未来のことだった。

 


例えば、将来の夢はサッカー選手!っていう子どもがいたとする。その夢はきっとサッカー選手になったら終わりじゃなくて、選手として華々しく活躍することも含まれているはずだ。

活躍っていっても天皇杯優勝とかなんとか賞をもらうとかなんかの記録更新とかそういう具体的なものではなくて、サッカー選手としてグラウンドに立ち、ゴールを決めたり、チーム優勝に貢献、みたいなキラキラした映像がその子の頭の中には流れているはず。

つまり、サッカー選手っていう将来の夢は漠然とした未来。

 


その夢のために、積み上げていくのが目標。

サッカー選手になるために、具体的に何をすべきなのか。

日々のトレーニングでこれが苦手だから修正するとかそういう小さいことから全国高校サッカー選手権?だっけ?で優勝とか大きいことまで含めて、夢よりもっと具体的なものが目標。

 


というのが私の中の定義。

これは強要しないし、これから書くことはこういう考えの人がドリボをみてどう思ったかの話。

 

 

 

 


DREAM BOYS。

夢をみる男の子たちが主人公のお話だと思ってた。

 


多分、違う。

夢をみる男の子が主人公ならば、主人公はユウトだった。

 


夢をみる男の子たちの話じゃなくて、夢をみている1人の男の子の夢を叶える2人の男の話だった。

 


THE DREAM BOYSで歌う、『終わらない夢』は2人のユウタの夢じゃなくて、ユウトの夢だった。

 


生きたい。

チャンプになりたい。

 


そのためには移植する心臓が必要で、手術するお金も必要。

 


2つを用意するためにユウタは奔走するし、ジンはユウタのためかユウトのためか私にはわからなかったけれど心臓を捧げる。

 

 

 

ユウトの手術は成功し、ジンの心臓はユウトの中で動き出した。

チャンプになるという夢を叶えたジンの心臓はチャンプになりたいという夢をみているユウトの心臓になった。

 


2人のユウタの夢はユウトの夢になった。

 


だから多分、私は泣かなかった。

ユウタとユウトの兄弟のやりとりも、ジンがグローブをユウトに託すシーンも、天国で2人のユウタが手を取り合うシーンも。

 


そこが夢の終わりじゃないから。

 


きっとこれが、2人のユウタが自分の夢を叶える話だったら泣いてたんだと思う。

ジンがチャンプになりたいと思ってなるまで、とか。

それもチャンプになったら終わりじゃなくて彼は伝説になったぜみたいな終わり方だったらもっとサイコー。

私は劇中で製作していた映画が完成して、それを観れたなら泣くと思う。

 


それは出演する彼らに重なるし、端的に感動できる。

 

 

 

私が観たユウタとジンはあまりに岸優太と神宮寺勇太とかけ離れていて(中身は似てるんだけどそれはこの後綴る)数時間で彼らの過去と想いを知って受け止めて泣くまでには至らなかった。

いやもちろん感動はしたし、いいシーンだとは思っていたけれど。

 

 

 

私は朝の情報番組でドリボ特集が組まれ、天国でのTDBの「終わらない夢を描こう」って、2人のユウタが手を取り合って歌うシーンが流れた時、泣いた。

そのワンフレーズだけで泣いた。

 


多分その時の私はユウタとジンとして彼らを見ておらず、岸優太と神宮寺勇太として彼らを見ていた。

彼らがアイドルとしてデビューするという夢の中にいたから。

 


デビューするって夢の中にはデビューして活躍するところまで含まれると思う。

華々しい舞台に立ち、終わらない夢を描こうって手を取り合って歌う2人は正しく夢を叶えた真っ只中だった。

 

 

 

DREAM BOYSのユウタとジンはあまりに人のために生きすぎていた。

例えるならば、アイドルをプロデュースする側の人間の話だった。

自分の夢が主体じゃなくて、誰かの夢が自分の夢で、叶えてあげるために奔走する。

だから、私の中の岸優太と神宮寺勇太と繋がらなかったのかなと思ってる。

 


これは自分の問題だし、私は滅多に舞台を見て泣くことはないからそれもふまえて作品が良くなかったから泣かなかったとかそういうことではないってどうかわかってほしい。

 

 

 

そしてこれは神宮寺勇太のオタクからの話。

神宮寺勇太くんの担当じゃない人には本当に関係のない話。

 


私はドリボの話が決まって、わ!wユウタ2人で座長だ!って喜んだ。

でも座長は岸くんで、帝劇の0番に立ったのも岸くんだった。

 


この話は本当に、悪い意味は含めてないってわかってほしい。

悔しいって気持ちを持つことは悪いことじゃないと私は思ってるから。

 

岸くんが座長ですって知った時、わ〜〜、岸優太にはやっぱ勝てないのか。

いつまでも越えられない壁だ。

って思った。

 


その気持ちには誇らしさもある。

うちのグループの岸優太はやっぱすごいんだって。

彼はいつまでもスターだ。

 


でもやっぱり悔しい。

岸優太に勝てないことじゃなくて。

まだ、神宮寺勇太が帝劇0番に立てないその事実が。

 


って思ってた。

ムムム……岸くんが主役か……って。

 


よくないよね。

主役とか0番にこだわりすぎるのは。

観ないとどんな役かなんてわかんないじゃん。

主役をもらったからって勝ちじゃない。

 


観てて思ったんだ。

あ〜このユウタの役は神宮寺勇太じゃないわ、って。

逆にチャンプの役は神宮寺勇太くんに合っていたと思う。

これはうち執の時も思った。

あ〜〜主役じゃないのかぁって同じグループだけどなぁって思ったけど、花穎様は神宮寺勇太くんに合う役じゃなかったし、赤目くんは合っていた。

 

 

 

人にはひととなりにあった役割というものがある。適材適所。

神宮寺勇太は常に主役を張るタイプではないと思う。

これは褒めてる言葉。

物語で主役は1人しかいない。

でも主役以外はたくさんいる。

 


主役以外の当たり役もたくさんある。

 


一つの作品に主役で出ることより、たくさんの作品に主役以外で出る方がたくさんの人の目につく。

 


名前を覚えてもらうより、あ、アレに出てた人だ。って。それが積み重なっていく方が、神宮寺勇太らしいんじゃないのか。

 


中島裕翔。Hey!Say!JUMPの。

彼はそのタイプだった。

覚えてる。

ジャニオタじゃない人に、えっあの人ジャニーズなの?メッチャいろんなドラマ出てるよね?演技もうまいし俳優さんかと思ってたって言われたこと。

 


素敵だなって思った。

名前よりもジャニーズのアイドルだってことよりも、顔を覚えてもらえて演技上手だよねって言われること。

彼らはアイドルだけど、その中でも演技は俳優としての仕事だから、主役として華がある役じゃない限り、彼のアイドル性はいらない。

 


この道だ。

真っ直ぐで、真っ直ぐすぎる故に不器用で、キラキラ眩しすぎる役は神宮寺勇太には合わない時もある。

その眩しさに振り回される優しさやそれでも自分の意思を貫く強さ、そういうのを持っていて主人公の横に立つ役が彼には似合うことが多い。

 


確かに私は戦隊モノでもブルーが好きだ。

華やかで真っ直ぐでがむしゃらで猪突猛進なレッドよりも、冷静で周りをよく見て緩やかな優しさのあるブルーをいつも魅力的に感じる。

メンバーカラーもターコイズブルーだし、まぁそういうことだ。

 


少し、自分の気持ちに区切りがついたような気がする。

私の中で神宮寺勇太くんはヒーローで、強くて、かっこよくて、いつも世界の真ん中に立っていた。

だから彼が舞台の、映画の、ステージの、真ん中に立っていないのが不思議で仕方なかった。

 


でも、DREAM BOYSを観てようやく私は理解した。

彼は正しくブルーのグローブをつける男だった。

赤のグローブは岸優太だった。

 

 

 

もし、神宮寺勇太くんのオタクで私と同じように彼はなぜ真ん中にいないのだろうと思っていた人がいたら、私がドリボを観てこう感じたことを知って欲しい。

 


なんだか今ドリボ 観たら泣けそうな気がする。

私の気持ちも整理されたし、物語の流れもすでに理解しているから単純に彼らの動きに集中できる。

まぁ、そんなことをいっても千秋楽を観劇したのでどうにもならないが、来年があるならば私は泣きたい。

 

 

来年もWゆうただといいな、そんなことを思えるほど2人の信頼は他の誰も間に入れないほどに見えたし、その2人が同じ名前なのは運命だ。

優しさのユウタと勇ましさのユウタ。

漢字までぴったりなんてホント運命。

 

2人のユウタが手を取り合ったからユウトの夢は繋がったし、2人のユウタだったからこの舞台は成功した。

 

 


ジャニーさんは彼らの全てを使って、今年のDREAM BOYSを作ったように思う。

まぁ、私は前作を観ていないからどう違うとかはわからないけど。

 


全てが布石のようだった。

Mr.KINGが出演していたDREAM BOYS。

彼らが歌った『THE DREAM BOYS』。

彼らと対立するようにグループを組んだPrince。

そしてデビューしたKing&Prince。

病気療養で活動休止した岩橋玄樹

残された2人のユウタ。

受け継がれる、亡くなったジャニー喜多川の作・演出舞台。

手を取り合い、見つめあい、『THE DREAM BOYS』を歌う2人のユウタ。

 


なんか、おとぎ話みたい。

まさに夢の話だ。

彼らのこれまでを全て演出として使った気がする。

 


DREAM BOYSの話自体は2人のユウタの夢がユウトに繋がる話だったが、舞台自体はWゆうたのための舞台だった。

 


彼らがこれから叶えていく終わらない夢の話の第1話がデビューならば、この舞台は第2話だった。

 


帝国劇場で座長。

その舞台はチケット完売満員御礼。

 


この経歴は彼らが登る階段の一歩。

 

 

 

 

 

げんきくん、DREAM BOYSにピンクの光として登場した君が強く逞しくなったWゆうたに支えられて姿をみせてくれること、楽しみにしてる。

 

岸くん、本当にスターだよ貴方は。

歌もダンスも元から上手だったのにずっと上に駆け上がっていく背中は広すぎる。

勇太さんもかなりの速度で追いかけてるはずなのにいつも少し先で手を引いてくれてる気がするよ。頑張りすぎないでね。舞台とライブが終わったらちゃんと休んでください。

 

 

勇太さん、やっぱり努力の人だね。

シビれるよホント。シビれるくらい、憧れる。

叶えたい夢はまだほとんど叶ってないって言ってたけど、この舞台は叶えたいことの中にあったかな? 叶えたかな?

君にはきちんと合った役が振り分けられるから私みたいに主役じゃないって焦らないでほしい。君に合った役の主役はいつか必ず来る。

まぁ、君は私じゃないからそんなことで焦ったりしないんだろうけど。

 

 

 

 

DREAM BOYS。

千秋楽おめでとうございます。

怪我なく走りきり、たくさんの人の意思を継いだ2人はカッコ良かったです。

長々書いてごめんなさい。

 

この舞台が君たちの第2話。

第3話は来年ぐらいかな。

きっと何か大きなことが起こる気がするよ。

 

 

 

4年ぶりに神宮寺勇太くんを観に行った話

私はKing & Princeの神宮寺勇太くんが好きだ。

その過程は前回のブログを読んでくださるとよくわかるので読んでください。

とにかく、好きだ。

 


私は2016年くらいから神宮寺勇太くんを画面越しでも観ることが少なくなり、デビューして4ヶ月くらいまで現役のオタクではなかった。

私が最後に観た神宮寺勇太くんはセクパワ大阪2015年5月4日。

実に1560日ぶりに神宮寺勇太くんを生で観たのだ。

 


私が最後に観た神宮寺勇太くんは、まだビジネスチャラ男を抜けきれず、髪の毛も金髪で、トラフィックジャムという曲ではストリート系の服を着ていてメッチャヤンキーだった。

それと同時に落ち着きも出てきて、今の国民的彼氏であり好青年な神宮寺勇太くんも、好きだよという曲でみんなが制服を自由に着崩す中で1人シャツインし、ネクタイを締めるスタイルで登場したり、ところどころ垣間見れたりした時期だった。

 

 

 

まぁ、何が言いたいかというと、神宮寺勇太くんは大人になっていた。

自分はあの頃から何も変わっていない気がするのに、彼はいつも先を歩いている。

 


常に自分の見せ場、ではなくメンバーを立てたり、抜かれているのにカメラを見ずパフォーマンスをしたり、彼の動きから必死さはなくなった。

信頼と安定が彼を強くしていた。

 


チャラいかチャラくないかでいうと多分チャラい部類に入るとは思うんだけど、落ち着きとゆったりとした優雅な仕草、誠実な言葉選びで、甘い言葉を囁くチャラさとそれを本気で伝えてくる真摯さを両立させている不思議な人だ。

 


曲中で彼は、セリフを言うタイミングでもなんでもない時にファンに「愛してるよ」と言った。

溢れるように出てきた言葉は、カメラ目線で決めるファンサより私たちの心を撃った。

 


茫然と立ち尽くすほかなかった。

あまりに真摯な言葉だった。

彼はこちらからの愛を疑うことなく受け止めて、返そうとしていた。

みんなが愛情を伝え合う、眩しい空間だった。

 


私は残念ながらファンサービスを貰えなかったけれど、団扇はあったらあっただけ嬉しいって、彼らも私たちも知ってるから、彼らのコンサートを彩る飾りになれたと思うとなんだか誇らしくなるぐらいには満足だ。

それに、私の周りの多くの人たちがファンサービスをもらっていた。

私が受けた流れ弾の数がそれを表していると思う。

彼らが団扇に答えないわけじゃない。

数が多いんだ。

そんな幸せな事あるか。

先輩のライブで、もちろん先輩の団扇しかない中で、自分の団扇をみつけてファンサービスしなくてもいいんだ。

答えられないくらい、あるんだ。

夢みたいだろ。全部、あのおっきい会場、ほとんどがKing & Princeのファンだよ。

 


彼らは一瞬で人を幸せにする天才だった。

ファンサービスをもらって喜び、彼らがトロッコで行ってしまってから隣の友人と抱き合って跳ねる彼女たちは本当に可愛くて、その瞬間こそ彼らに見せてあげたくなるんだ。

こっちまで幸せになるよ、おめでとう、よかったね!!!って関係ないのにハグしたくなる。

本当に彼らは多くのファンに答えていて、死ぬほど流れ弾を受けたけど、どんなファンサービスをしていたかは多くの人が見れるブログやツイッターでは言わないと心に決めた。


ファンサービスと言うけれど、サービスなんかじゃなくて、彼らがあげたいからあげるし、ファンが欲しいから受け取る、プレゼントのようなものだと思う。

あのプレゼントは彼女たちのものだ。

私は渡している現場をチラ見しただけで、あのプレゼントは私のものではないから、言わない。

こんなものもらって幸せなの!って言う権利は彼女たちにある。

あの空間はKing & Princeのメンバーと彼女たちしかいなかったはずなんだ。

 

 

側から見れば、私たちはアイドルに陶酔する痛い人たちなのかもしれない。


じゃあ、貴方は??っていつも思う。

貴方は反射的に歓声を上げるほど、涙を流して感動するほど、誰かに、何かに心を揺さぶられることはないの??

 


それってすごく寂しい人生じゃん。

 


ご飯いらなくなるくらい胸がいっぱいになることはないの?

本当に些細なことで笑いが止まらなくなって、みんなでずっと笑いあったりすることはないの?

楽しい気持ちが溢れ出してみんなで川沿いの道を歩きながら大好きな曲を口ずさんで踊るように歩くことはないの?

 


私はそれ、全部King & Princeが叶えてくれたよ。

 


ライブ終わりにご飯食べに行ってもお腹空いてるはずなのに全然食べれなかったり、岸くんとお揃いのチアシード柄のズボン買おうかなとか言って馬鹿みたいに笑いあったり、人混みの中で「街の人混みに紛れながら〜」って口ずさんで笑いながらみんなで歩いたり、こんな時間が続けばいいのになって思うこと、コンサートの時間以外にもいっぱいあるんだ。

 


中高の友達なんて片手で足りるくらいしか連絡取らないのに未だに高校生の時から仲良くしてくれる友達がいたり、何の用事もないのに遊びたいからって理由で会いに行ける友達がいたり、全部、全部、King & Princeが結んでくれた仲間なんだ。

 

 

彼らは小さい頃からの仲間とデビューした。

意図的ではなくグループが分かれたり、もしかしたら裏切り裏切られるかもしれない不安、嫉妬、全て乗り越えてデビューした。

 


今回、彼らはKINGとPrinceの曲を5人で歌った。

沢山の悲しいことがあったから、5人で歌うことを否定的に受け取る人もきっといると思う。

でも私は、すごく嬉しかった。

彼らはもう、Mr.KINGでもPrinceでもないんだ。

King & Princeなんだ。

描いた未来も終わらない夢も6人で叶えていくんだ。

それをすごく感じたコンサートだった。

だからこそ、1人の不在は、ありえない存在感を発していた。

神宮寺勇太くんの横にはいつも岩橋玄樹がいたから、私が観るコンサートには必ず岩橋玄樹がいた。

誰よりもファンサービスに答える彼は今、どうしてるだろう。

ファンの声に答えられないことを悔やんでいたりするだろうか。

 


いいんだ。

君が今、生きてることが大事だ。

これからも、生きていることが大事だ。

君ができなかったファンサービス、Prince Princessの曲の間、5人がしてくれたよ。

 


沢山の人がどうしてPrince Princessをファンサ曲にしたの!?と言っていた。

私もそう思った。

Princeにとって本当に大事な曲だから。

でも、沢山のファンに応えながらPrince Princessを歌う彼らは岩橋玄樹の不在を誰よりも真剣に考えていたと思う。

 


Prince PrincessはPrince3人がいなければ完成しない。

Mr.KINGだってそうだろう。

彼らの始まり、THE DREAM BOYSは3人揃っていなかったら完成しないだろう。

それは5人で歌っていようと、同じだ。

だから、ファンサ曲にした。

5人のまま歌いたくなかった。

岩橋玄樹がファンにあげられなかったファンサービス、5人でこの曲の間、全部使って渡す。

そう決めたのかもしれない。 

 

都合いいかな。

でもそう思っていたいよ。

 

彼らだって踊りたかったはずだ。

あんなにファンとみんなで踊れる曲、滅多にない。

神宮寺勇太くんはトロッコの上でも踊っていた。

みんなの近くに行って、みんなとプリプリを踊ることがファンサービスだと言わんばかりにサビはずっと踊っていた。

だから、私もずっと踊った。

私はアリーナじゃないからファンサを受け取る事はできないけど、プリプリの踊りを揃えてあげるっていうプレゼントを彼らに送る事はできるって思った。

 


待ってるよ、玄樹くん。

6人で歌うPrince Princessの真ん中に、君がいること。

KPQPで私たちが繋いだ歌詞を、君が紡ぐこと。

 


ショオは最後の挨拶で、

「俺らはCD聴けばいつでもいるし、雑誌を開けばいつでもいるしテレビつければたまに映ってるから、そんなに寂しがらないで。いつだって繋がっているよ」

って言った。

この人スゲーって思った。

ファーストコンサートでは、デビューして距離が遠くなったって言う人もいるけど俺たちはいつもそばにいるよって言ってた。

ファンサービスの言葉なんかじゃなくて、真剣だった。

 

ショオの真摯さはありえないぐらい真っ直ぐで彼の強さを感じる。

 

本気で思ってる。

多分、ショオ自身がいつもファンの存在を感じているからだと思う。

私はアイドルじゃないから、いつ感じているのかはわからないけれど、ショオがファンを近くに感じているから出てくる言葉なんだと思う。

裏なんかない。嘘なんかじゃない。

彼は本当に私たちを近くに感じているんだ。

 


少し、自分が恥ずかしくなった。

神宮寺勇太くんを好きな私は、彼が私の前の花道を通った時、目の前にいるのにすごい距離を感じた。 

 

なんてこの人は遠いんだろうって思った。

 

それは、アイドルだから絶対プラベで会えないとか私は好きだけど彼は私を認知してないとかそういうことじゃなくて、私が人間としてのレベルでこの人に追いつけることはないんだろうなって思った。

努力も、真面目さも、人を幸せにする力も、なにもかもこの人には勝てないんだって思った。

なに競ってんだよって思うかもしれないけど、本当に、私がこんな凄い人を一方的に好きなことを応援とかそんな言葉で表していいのかなって思った。

 


そう思うと、言葉が出なかった。

ジンくんって呼べばいいのか、勇太さんって呼べばいいのか、もうわかんなくなって、とにかく貴方を好きな人がここにいるよって、団扇を見やすいよう動かさずに胸の高さで持つことしかできなかった。

 


きっと彼らはみんな自分と同じぐらい努力してるし、真面目に仕事や勉強に取り組めるし、人を幸せにする力を持ってると思ってる。

だから、みんなが誇れるようなKing & Princeになるからってショオは言った。


私もKing & Princeが、俺たちのファンはスゴイよってちゃんといい意味で言えるようなファンでいたいと思った。

私たちがキンプリが好きって言っても周りが笑わないアイドルになってくれるなら、私たちもキンプリが好きって言っても笑われないようなファンになる。

 


アイドルにうつつを抜かしてるからそんな人生になるんだなんて言わせない。

私の人生はアイドルが、King & Princeがいたからこんな素敵な人生になったんだって言ってみせる。

 

 

 

ちなみに私はアンコールが終わって、みんながスゴイ軽く、またね〜、じゃあね〜って言ってるのを見て泣いた。

そんな、よく会う友達とのさよならする時みたいな、そんな言い方しないでよ。

また、なんていつ来るの。

って、すごい悲しくなった。

 


今思うとそんな些細なことで泣くなよって思うけど、本当にすぐ会えると思ってるんだ彼らは。

いつも近くにいるから。

いつも感じてるから。

毎日が凄いスピードで過ぎていくから。

 


きっと5周年も10周年もすぐだ。

すぐ来る。

私がKing & Princeにまた会える時もすぐだ。

人生なんてあっという間だ。

 


そんな短い人生で、King & Princeに会えたこと。

大切にしたいよ。

King & Princeのお陰で仲良くなった友達も、頑張れた仕事も、悲しかった思い出も、楽しかったコンサートも、全部宝物だ。

 


神宮寺勇太くん。

4年ぶりだったんだ、君を見るのは。

4年だってすぐだった気がするから、次もすぐだよね。

君は努力の人だから、そんな人を好きになったのは私の人生の糧だ。

よくダラけちゃうし、やらなきゃいけないことだってよく後回しにする。

たまには許してほしい。

でも、君に人として追いつこうとする人でいたいよ。

多分追いつけないけど。

追いつこうとする努力はする。

君のファンだからね。

 


いつだって君は私の光だ、って。

そう思えるコンサートだった。

こんな楽しくてこんな眩しい時間、存在するんだって、夢みたいだった。

 


また今度。

すぐ会えるね。

じゃあね。

それまで、私が誇れるKing & Princeで居続けてね。

私も、君たちが誇れるファンになるよ。

私が出会った最高のアイドル・神宮寺勇太くんと私の夢の話

皆さんはKing & Prince、通称・キンプリというジャニーズ事務所所属の男性アイドルグループをご存知だろうか。

花より男子の続編、花のち晴れに出演した平野紫耀のいるグループだ。

デビュー曲は花のち晴れのOP「シンデレラガール」

そこまではご存知かもしれない。

 

では、そのメンバーの神宮寺勇太くんはご存知だろうか。

きっと大半の人が知らないはずだ。

世間から見ればデビューしたばかり。

知らなくて当然だ。

 

彼は幼い頃からジャニーズのアイドルに憧れていたそうだ。

しかし履歴書を送る勇気はなく、漠然と憧れているだけだった。

そんな彼を見て、彼の祖父は百均で履歴書を購入して、書け。と渡してきたらしい。

彼は2010年に入所。ジャニーズJr.として活動し、2018年にデビューを果たす。

「ワンコインで買ってもらった夢がこんなに大きくなりました」と彼は言った。

 

 

これから書く話は私が出会った最高のアイドル・神宮寺勇太くんと、私の夢の話だ。

 

 

2010年。

中学生の私はテレビで、とある職業の密着番組を見た。

とてもカッコいいと思った。

自分に向いているかもわからないし、どういう段階を踏んで就けるのかもわからない。

夢というにはあまりにも遠すぎた。

まだ中学生だし、明確に将来の夢を持っている友達なんていない。

私も漠然と、あんな風になれたらカッコいいと思っただけだった。

 

同じ頃、ジャニーズ好きの母の影響で少年倶楽部というJr.がたくさん出る番組(以下、少クラ)を見始めた。

友人が好きなB.I.shadowというグループ(以下、B.I.)も出演していた。

B.I.の4人はすごく人気で、きっとこのまま4人でデビューするんだって、私も友人も思っていた。

 

2011年。

ジャニーズから新グループのデビュー発表があった。

SexyZoneのデビューだった。

帝国劇場で行われたデビュー会見で見たメンバーは、3人知らない人。

2人はB.I.のメンバーだった。

友人がすごく悲しんだ。

私も複雑な気持ちになった。

 

いくらグループを組んでいようと、そのグループは人気があろうと、運がなければ、グループの色に合わなければ、デビューという道は掴めない。

ジャニーズJr.とはこういうものかとその時知った。

 

神宮寺勇太くんをきちんと認識したのはSexyZoneのMステ初登場の回だったような気がする。

真っ白な衣装。

ほんの少ししか映らないJr.の真剣な表情の中に、彼の、集中しているが故のぼんやりした顔が混じっていたのを覚えている。

彼が失敗しないか不安だった。

 

その後も少クラで見かける度に、若干、焦点の合っていない瞳で周りを確認しながら苦手なダンスを踊り、カメラに抜かれると苦笑いで誤魔化す彼を目で追っていた。

次第に立ち位置が前になり、名前のテロップが出るようになった。

神宮寺勇太

スゲェ名前。芸名みたい。めっちゃ細い。折れそう。

神宮寺勇太くんの世代は同期が多かったけれど彼だけは名前を覚えた。

そのぐらい、私には浮いて見えた。

自分のやりたいことが明確にあるはずなのに、出来ていないように見えてもどかしかった。

 

そして、2011年12月。

私は神宮寺勇太くんを好きになった。

 

ジャニーズJr.ランド(以下、ジュニラン)という番組の、バルーンアート回。

神宮寺勇太くんが膝立ちで机に腕を乗っけて上を見上げるカットがあった。

そのカットはあまりにも美しくてマジで腰を抜かした。

神宮寺勇太くんって、こんな綺麗で可愛かったっけ……

衝撃オブ衝撃。

ピシャーーーンって雷が落ちるSEがつくレベル。

周りの音が聞こえなくなるってこういうことか。

 

そこから私は神宮寺勇太くんを目で追うようになった。

まだ何もかもに慣れていなくて、キョロキョロと周りを確認しながらテレビに映る彼は、どの項目でも周りのJr.の平均値だった。

なんならダンスは周りより下手だった。

地方住みで在宅オタクな中学生の私には画面越しでしか彼を見ることは出来なくて、先輩のライブのバックについて大勢の中にいたら見つけられる自信はなかった。

 

2012年。

私は高校生になり、漠然とこういう仕事をしたいと思っていたことに近い部活に入った。

それでも、将来の夢は?と聞かれても明確に答えることはまだできなかった。

 

この頃ぐらいから神宮寺勇太くんはしっかりとした視線でカメラを見て、ウインクなどのファンサまでするようになっていた。

彼は急速に成長していった。

周りのJr.の中にいないキャラを把握して、自分をそこに押し込んだ。

 

彼は高校生になった途端、髪を染め、チャラさを前面に出し、周りから逸脱した。

常に同期のJr.のセンターにいた。

ジュニランのライブコーナーでは1人だけ衣装も違い、ソロも歌っていた。

 

彼は貪欲だった。

同期たちが部活のような感覚でJr.をやっていそうな感じ(あくまで主観)の中で、彼は上に上がろうとしていた。

それでも、上に上がるにはまだ知名度と人気、人気が出そうな仕事が足りなかった。

自分でそのキッカケを作ろうとしているように見えた。

 

そのチャラ設定に私が感服したのはジュニランのパジャマパーティー回だった。

みんなが中高生らしい可愛さ溢れるパジャマを着てくる中、彼はヒョウ柄のパーカーを着てきた。

髪もバチバチにセットしていた。

 

あまりにもカッコよかった。

もちろん顔も。

それよりもその姿勢が。

いつそのキャラが崩れるのか不安だった私と打って変わって、彼は全速力で階段を駆け上がる準備をしていた。

 

これまで散々神宮寺勇太くんを目で追っていながら、担当とまでは……と神宮寺担を名乗ることを渋っていた私の腕を、彼はぐっと引っ張って、自分の立つステージの観客席に座らせてくれたような気がする。

 

そこで見ていろ、俺はデビューするぞ。

どんなことがあっても、誰が辞めようとも、誰を裏切ろうとも、俺はデビューするぞ

って声が聞こえた気がした。

「絶対デビューするまで辞めない」

雑誌で公言した時、心を決めた。

 

きっと私はビビってたんだと思う。

B.I.の分断、SexyZoneの鮮烈デビュー、次々と人が辞めていっては新しい人が入るジャニーズ事務所

応援してもデビューするとは限らない。

きっと応援したって悲しいことばっかりだ。

もし、一番応援している人が辞めたら?

それなら、程々にみんな好きぐらいがちょうどいいじゃないか、と思っていた。

 

でもこの人は周りとはきっと違う。

何が違うのかわからない。

デビューするかもわからない。

でも、この人がデビューして輝いていることを見ないと気が済まない!

もう観客席に座ってしまった。

帰れない。

このコンサート、終わるまで絶対帰れない!!

 

神宮寺勇太くんのアイドル人生というコンサートに参戦を決意したのは高校二年生の冬だった。

制作開放席だろうが、天井席だろうが、見切れ席だろうが、神宮寺勇太くんのアイドル人生を観劇できればなんでもよかった。

 

神宮寺勇太くんは同期のJr.のトップをほぼ独走していた。

それでも、越えられない壁があった。

一年先輩の岸優太から上の先輩たち。

越えられないように見えた。

同期だけであればほぼ単独トップ。

そこに先輩が入ればポンっと前に立たれる。

先輩だから当然?

神宮寺勇太くんはそんな男ではないように見えた。どうにか掻い潜って先輩までも抜かそうとしていた。

でも、それにはまだ何かが足りないように見えた。

 

私は神宮寺勇太くんが好きだ。

それでもデビューしていないし、バックダンサーでマイクも持たない。

世間的には何かが足りないはずだった。

あと一歩が欲しかった。

 

そして2013年。

神宮寺勇太くんは幽かな彼女というドラマに出演した。

このドラマで、神宮寺勇太くんは岩橋玄樹と出会う。

いや、すでに出会ってはいたのだけれど。

 

運命のシンメだった。

お互いに真逆のキャラを演じるに当って観察し合う仲だったはずなのに、いつの間にかパーソナルスペースをぶち壊し、とんでもないあだ名をつけ合い、歴代最強シンメが歌い継いできた「欲望のレイン」を歌った。

 

それから2人はセットで扱われた。

雑誌、テレビの企画、ほとんどが岩橋玄樹と一緒だった。

ギラついて誰でも踏み台にしてやるぐらいの勢いで爆走していた神宮寺勇太くんは、岩橋玄樹を懐に入れ、大事に囲い込み出した。

まるで自分から離れていかないように繋ぎ止めているかのようだった。

 

SexyBoyzという神宮寺勇太くんが所属していたグループは次第に形を変え、Sexy Zoneマリウス葉神宮寺勇太岩橋玄樹のシンメ(以下、じぐいわ)でSexyBoysとなった。

 

明らかにテレビに映る量が増え、曲ももらった。

これを狙っていたのかと思うぐらいのチャンス。

いや、チャンスというか、自分たちでシンメの人気を押し上げたじぐいわの勝ちだった。

岩橋玄樹神宮寺勇太くんにとって足りなかったあと一歩だった。

 

その頃、関西からよく永瀬廉と平野紫耀のシンメ(以下、しょうれん)が関東に遊びに来るようになった。

関西からの刺客だった。

シンメという武器を手に入れた神宮寺勇太くんの新たな壁も、シンメだった。

 

しょうれんの快進撃は続き、そこへ髙橋海人が現れた。

髙橋海人はダンスがウマく、事務所に入る前から出来上がっていたが、まだ入所したばかり。

神宮寺勇太くんしか見えていない私は、彼の後ろから爆速で駆け上がってくる髙橋海人の存在を意識していなかった。

 

気づけば髙橋海人は神宮寺勇太くんの横にいた。

正確に言えばじぐいわの間、岸優太の前にいた。

シンメがいないから自然とそこに落ち着くか、なんて悠長なことを考えられたのはほんのわずかな間だけ。

髙橋海人は関東に進出したしょうれんとDREAM BOYZという舞台に出演、曲ももらった。

 

ゾッとした。

あまりの速度にトラウマのようなものがよぎった。

この3人にKINGというグループ名はまだついていなかったけれど、のちのKINGは神宮寺勇太くんの前にポンッと現れた。

 

その頃から神宮寺勇太くんの同期や仲間たちは次々と辞めていった。

彼と一番仲のよかったJr.も辞めてしまった。

それでも彼はアイドルをしていた。彼の心が心配だった。

いつ、誰が辞めてもおかしくない状況だった。

 

神宮寺勇太くんは再び、デビューするまで辞めないと雑誌で言った。

その夢には、岩橋玄樹も含まれるようになった。一緒にデビューできたら、なんて。

ギラついていた神宮寺勇太くんが他人を自分のステージにあげようとしていた。

私は神宮寺勇太くんだけのステージを観ていたはずなのに、いつの間にか岩橋玄樹も立っていた。

 

段々と、のちのKINGと対比するように、じぐいわと岸優太の3人が組むようになった。

でも、クリエでのちのキンプリメンバーで公演することになっても、グループに名前なんてついていないし、この公演のみの組み合わせなのだと思っていた。

デビューってなんて遠いのだろうと、私ですら思った。

 

そして、高校三年生になった私は大学進学を決めた。

三年間部活に打ち込み、夢は明確となった。

中学生の頃に憧れていた職種に就きたいと思い、大学もその専門の大学に進学した。

 

2015年夏。

神宮寺勇太くんはMr.King vs Mr.Princeとしてテレ朝夏祭りのサポーターとなった。

Mr.King平野紫耀、永瀬廉、髙橋海人。

Mr.Princeは岸優太、岩橋玄樹神宮寺勇太

ついにしっかりメンバーが固定しているグループに入れられた。

お金のかかった宣伝に使われた。

もうデビューだ、と思った。

ファンは期待していたと思う。もちろん本人たちも。

 

しかし、地獄はここから始まった。

ユニットを組んだはずのMr.Kingは3人だけでテレビ、雑誌、舞台に出るようになった。

いつの間にかPrinceの前からMr.が取れていた。

 

そして、とても悲しいことだが、私はこの頃から神宮寺勇太くんを視界に入れることが少なくなった。

大学に入学し、忙しさに負けていた。

それに加えて、久々に彼氏ができた。

彼氏には神宮寺勇太くんが好きなことは黙っていた。

出会ったばかりの彼氏より神宮寺勇太くんの方が明らかに好きだった。

俺がいるのに他の男に構うなと言われて、全く見れなくなるのが怖かった。

 

宝物を隠すように、母から送られてくるDVDで少クラとガムシャラ、真夜中のプリンスという深夜のJr.番組だけはこっそりと観ていた。

些細な時間しか観ていないけれど、Mr.Kingの勢いは止まらず、Princeは燻っているように見えた。

 

それでも神宮寺勇太くんはジャニーズを辞めないという自信があった。自分のことでもないのに。

PrinceはMr.Kingより仕事が少なくても、同期のJr.内では人気の方だったので自分が応援しなくても大丈夫だと思っていた。

そのまま、神宮寺勇太くんが何の仕事をしているか把握もしない日々が続いた。

毎年呼ばれていた舞台に呼ばれなかったことも後々知った。

 

そして2016年、夏。

テレ朝夏祭りのサポーターにMr.Kingが就任した。

Princeはいなかった。

 

悲しいことは立て続けに起こった。

サポーターとして曲を貰い、Mステに出演したMr.Kingと共にPrinceも一緒にマイクを持って歌った。

出演名はMr.KingとジャニーズJr.だった。

 

階段を登り続けてきた神宮寺勇太くんが、見えない力で引きずり降ろされていくのがわかった。

Mr.Kingにはドラマに映画、舞台、雑誌、仕事がたくさんあった。

Princeに新しい仕事はなかった。

 

2017年、冬。

 

この頃にはもうPrince3人は強く手を握り合っていた。

私の知らない絆が、神宮寺勇太くんの周りで輝いていた。

越えるべき壁だった岸優太は仲間になっていた。

神宮寺勇太くんは3人で一緒にデビューできれば、と言った。

 

そして私は、大学4年生になろうとしていた。

そろそろ就職活動も解禁となった頃、とんでもないチャンスを掴めるかもしれない試験があることを知った。

夢を叶えるための大きな一歩になるような。

詳しくは言えないが、あまりに大きなプロジェクトだった。

大学内で200人の応募者の中から12人が参加できるプロジェクト。

就職活動もあるけれど、誰が何と言おうと受けるしか選択肢はないと思った。

そして、その試験を勝ち抜いた私は2018年の9月まで大学に引きこもる事が決定した。

 

2018年1月。

大学から帰宅していた時、友人からラインが送られてきた。

「デビューおめでとう」

何のことかさっぱりだった。

私はネットで、神宮寺勇太くんがデビューすることを知った。

 

次の日、プロジェクトに行くために早起きした私は情報番組で流れるキンプリのデビュー会見をぼんやり見ていた。

5月にCDデビュー。

忙しさに、嬉しさも追いついていなかった。

 

それでも、キンプリが記事になった新聞は買えるだけ買った。

家に帰ってベッドに新聞を並べた。

なんでかわからないけど泣いていた。

神宮寺勇太くんは自力で夢を叶えた強い男だと思った。

 

その後も、私はプロジェクトに通い詰めながら就職活動も行い、隙間時間に卒業制作も進めていた。

第一志望の会社は私がなりたい職種になれる、業界で一番大きな会社。

会社はなりたい職種とは違う職種しか募集していなかったけれど、就職して努力すれば希望する職種に就けることも可能だと知って応募した。

 

私はキンプリがデビューするまでに何をするのか知らなかった。

Sweet gardenも予約が終わった時に存在を知ったし、そもそも知っていても距離的にも日程的にも行けなかった。

私があまりにも静かだったため、母はいい機会だし、ジャニーズオタクを卒業したら?と提案してきた。

 

私はジャニーズだから神宮寺勇太くんが好きとかそういうことではなかった。

ジャニーズというジャンルの括りならもうとっくに卒業していた。

神宮寺勇太という人が好きだった。

 

CDはもちろん買った。

忙しく、しんどい毎日の中で唯一楽しみにしていたことだった。

神宮寺勇太くんの声をしっかり聴ける音源が嬉しくてしょうがなかった。

花晴れも母に録画してもらって観た。

OPのいいタイミングで流れるシンデレラガールに意味もなく泣いていた。

 

キンプリはすごい勢いで有名になっていった。

プロジェクトで仲良くなった非オタの友達でさえ、もう5月にはグループ名を知っていた。

ファンクラブができたことも、ライブツアーの存在も知っていたけれど、入らなかったし応募もしなかった。

その時の私に神宮寺勇太くんを応援する気力はなかった。

プロジェクトと就職活動に全力を注いでいた。

自分の夢が叶うかもしれないチャンスだった。

 

ふとした時に、まだグループにも入っておらず、ギラギラしていた神宮寺勇太くんのことを思い出していた。

彼は、私にとって夢を叶えたお手本のような人だった。

自分の夢を叶えるには、あのぐらい貪欲でなければ。

私は割となりふり構わないぐらいの勢いでプロジェクトと就職活動に向き合った。

東京に遠征している時期がちょうど、キンプリのファーストツアーの時期だった。

駅でキンプリのファンとすれ違わなくてよかった。

きっと、すれ違ったら泣いていた。

 

プロジェクトが終了した時、キンプリのファーストツアーも終わった。

そして、私の就職活動も終わった。

第一志望の会社に内定をもらった。

面接の際にはもちろんプロジェクトのことを多く聞かれた。面接官の上司はプロジェクトを取材してくれたテレビの放送も見てくれたようだった。

人生で初めて、自分の努力が実った瞬間だった。

 

私はようやく、神宮寺勇太くんはこれからどんなお仕事をするのだろうと思い、ツイッターを開いた。

デビューしてから好きになったというファンがたくさんいた。

最高に嬉しかった。

シングルは予想以上に売れ、彼らは新人アイドルという枠を超えるほどにテレビや雑誌に出演した。

 

そんな中、Ride On Timeというドキュメンタリー番組が放送されることになった。

初回はキンプリの密着で、彼らのこれまでの傷跡を見せるようなアイドルの密着とは思えない深入りの仕様だった。

そして私は、神宮寺勇太くんを応援出来なかった大学生の間を猛烈に後悔することになる。

 

彼はインタビューで、18歳の頃はドン底だったと振り返った。

Mr.Kingにばかり仕事が来て、自分達には仕事がない。

やりたいけれど仕事がないなら辞めるべきなのかもしれないと一瞬迷った。

それでも、Prince3人で話し合い、今がドン底だからもうこれからは大丈夫だよねと続けることにした。

 

彼はよく行くという寺院の中で、穏やかに語っていた。

どれだけ辛かったのかわからない。

みていないから。

みていてもわからなかったかもしれない、本人じゃないから。

でも、応援ぐらいは出来たはずだ。

手紙を書いて、載った雑誌のアンケートも書いて、SNSで何かしらの行動をしたり。

どれだけ1人の力が小さくても、1人1人の力が積み重なって大きな力になる。

みていればそういうことが出来たはずだ。

 

みていれば。

 

私はボロボロに泣きながら神宮寺勇太くんのインタビューを聞いていた。

可哀想とかそういう感情じゃなくて、申し訳なさが勝っていた。

ごめんなさいという涙だった。

デビューしてほしいなら、応援してあげるべき時期だった。

一番辛い時に応援してあげられなくて何がファンだ。

彼らの努力と決意で作られたパフォーマンスを娯楽として消費していた自分に腹が立った。

 

それからすぐに、岩橋玄樹パニック障害の治療に専念するため、活動の一時休止を発表した。

岩橋玄樹は頭のいい子で、時期を測ったようだった。

それでも戸惑っていたメンバーもいた。

神宮寺勇太くんはJr.の頃から唯一、岩橋玄樹の病気のことを知っていた。

私ですら寂しくなったのだ、この5、6年を一緒に駆け抜けてきた相棒が一時的とはいえ、いなくなるのはどんな気持ちなのだろう。

 

神宮寺勇太くんとキンプリのメンバーはテレビや雑誌に出るたびに岩橋玄樹へ言葉で、ハンドサインで、演出で、ダンスで、待っている事を伝えた。

人によってはプレッシャーになってしまうかもしれない呼びかけも、岩橋玄樹にとっては大事なものなのだと思う。

岩橋玄樹という人を理解して、彼にしてあげられる事をメンバーが考えて行動しているように見えた。

 

ファンも悲しみに慣れ始めた頃、キンプリは紅白歌合戦に出場が決まった。

デビューして1年も経たずに初出場を果たした彼らは表向きには祝福された。

 

ネットではメチャクチャに叩かれていた。

キンプリの先輩グループのオタクたちは、私の応援しているグループはまだ出ていないのに、とか、調子に乗っている、事務所に推されているだけ、と挙ってキンプリを叩き出した。

 

死ぬほど悔しかった。

なんだこいつら、と思った。

どう考えたって責任転嫁が過ぎる。

貴方達の応援しているグループが紅白に出られないのはキンプリのせいじゃない。

紅白だけじゃなかった。何かにつけてジャニーズの不祥事はキンプリのせいにされた。

 

私はこれに対抗すべく、神宮寺勇太くん及びキンプリに愛を伝えるだけの動画を撮り、Twitterにあげた。

これを機に、お友達もできるといいなと軽い気持ちだった。

3本目ぐらいの動画を夜にあげて、寝て起きたら大変なことになっていた。

端的にいうとジャニオタの中でバズっていた。

焦った。

そんなつもりじゃなかった。

ただ好きだという気持ちを話していただけなのに、だれかが笑顔になっている事を知った。

 

私の動画を見て、神宮寺勇太くんが気になりだした、好きになった、魅力がわかったという言葉をもらうようになった。

メチャクチャ嬉しかった。

自分のできる事を最大限にできているような気がして。

もし私が、また神宮寺勇太くんを応援する気力がない時がやってきても、私以外のファンが彼を支えてくれるだろう。

もしかしたら、私の動画を見てファンになった人も彼を支えてくれるかもしれない。

最高に嬉しい事だ。

 

そして2019年4月。

私は内定をもらった第一志望の会社に入社した。

そして、入社式の後、上司に呼ばれた。

募集していた職種と違う職種についてほしいとのことだった。

配属先は、中学の時に憧れた職種。

大学での専攻、大きなプロジェクトへの参加などを踏まえて、選ばれたのが私だった。

 

中学の頃からの夢を叶えた瞬間だった。

高校も、大学も、その夢に突っ走った。

突っ走っていたために神宮寺勇太くんを応援していなかった時期もあったけれど、きっと必要な時期だったのかもしれない。

 

私は、たまに神宮寺勇太くんが言っていたある言葉を思い出す。

 

「本当に好きな人ができるまで、俺のこと好きでいればいいよ」

 

楽しい学生生活、恋愛、いろんな自由、すべて捨ててアイドルとして活動してきた自分を消耗品のように言った。

好きな時に俺のことを応援してくれればいいよって、そういうことだと私は解釈した。

都合がいいかもしれない。

でも、夢を真っ直ぐ見据えて突っ走ってきた神宮寺勇太くんなら、夢を追いかけて他のことに構ってられなくなったら、俺のことはいいからそっちに集中すべきだと言ってくれるような気がする。

話したことないからわかんないけど。

 

夢のために誰かと戦わなければならない時、誰にもその夢を求められていないかもしれないと不安になった時、アバウトだけど苦しい時や辛い時、私は神宮寺勇太くんを思い出す。

同じ気持ちになんて絶対なったことないけど、圧倒的に自分より努力するステキな人を知っていることは私の強さだと思う。

私の夢は、自分で掴んだのかわからない。

4分の1、いや3分の1ぐらい神宮寺勇太くんのおかげかもしれない。

あの方向に走っていけばいいと教えてくれる。

神宮寺勇太くんは私の光だ。

 

そんな彼は5月23日でデビュー1周年になる。

神宮寺勇太くん、次の夢は何にする?

国民的アイドル? 5大ドームツアー? CDミリオン達成?

あ〜……動物苦手治す? ボールと友達になる? ねんね卒業する?

なんでもいいよ。

君の夢が叶うようにいつも祈っている。

 

神宮寺勇太くんだけのステージを観ていたはずなのに、いつの間にかステージには6人立っていた。

みんな、超えなきゃいけない壁だった。

最強のライバルだったみんなは、最強の味方になった。

神宮寺勇太くんが1人でみていた夢に、岩橋玄樹、岸優太、平野紫耀、永瀬廉、髙橋海人が含まれるようになってから1年。

誰が辞めてもデビューしてやるぐらいの勢いで突っ走っていた神宮寺勇太くんが、グループを定食で例えたら自分は味噌汁だって言ったんだ。

笑っちゃうよね。

グループで一番間をとっている真ん中の立場だからってさ。

味噌汁って好きな人は好きだし、なきゃないで寂しいでしょ?って彼は言った。

メンバーも、彼はグループのバランサーだって言う。

私はデビューしてからキンプリを知った友達たちによく、どうして神宮寺くんが好きなの? 一番普通じゃない? とよく聞かれる。

 

普通じゃない。

彼は天性のものを持ちながらも驕らず、努力してきた天才だ。

本人も、俺は顔が派手だから普通のことをしているだけで、すごく真面目に見えるから得しているって彼は言っていたけど、普通以上のことをしているからみんな驚くんだよ。

人への気遣い。周りを見る目。

言っちゃ悪いけど最初は下手っぴだった、ダンスと歌。

上手だねって言われるまでになった。

彼の魅力は初見では分かりづらいものも多いと思う。

でも、私にとって彼は最高のアイドルだ。

 

誰にだって、強烈に憧れる人がいると思う。

私にとっては神宮寺勇太くんがそういう存在であって、他の人にとってもそういう存在になれる人だと思っている。

君たちはきっとこれから、たくさんの人に愛されて、おっきいグループになるんだろうな。

なんかそんな気がするよ。

 

家族、友達、ファン、誰かを救うことに重きを置いてアイドルをする平野紫耀

人見知りで暗い自分を変えてくれたアイドルという職業に誇りを持つ永瀬廉。

自分に自信がなくていつも不安なのを押し切り、メンバーとファンのために努力を重ねる髙橋海人。

コツコツと努力を重ねれば行きたい所に行けることを知っているリーダーの岸優太。

病気と闘いながらファンを愛し、期待に答え続ける天性のアイドル岩橋玄樹

熱烈にアイドルに憧れ、夢を叶え、静かに闘志を燃やし続ける神宮寺勇太

 

まだ、デビューして1年。

King & Princeの夢は始まったばかりだ。

きっとこれから、たくさんの悲しいことが起こる。

神宮寺勇太くんがドン底だと思っていた18歳の日々より苦しい日々が訪れるかもしれない。

そんな時、私は彼を応援しているだろうか。

恋の魔法には期限がある。

時が経てば宝石もガラス玉さ、って。

彼らはデビュー曲で歌った。

かなり残酷なことだと思う。

永遠というものはないし、同じものだけを愛し続けることはほとんどない。

私だってそうだ。いつまで神宮寺勇太くんのことが好きかはわからない。

 

でも、今は君が好きだ。

この想いが君に伝わることはきっとないけれど、それでも今、君が好きだ。

神宮寺勇太くん、君は私の希望だ。

君が輝いている世界なら私でも生きていけるかなって、思いながら生きてるよ。

多分、君がいなくても生きていけるんだけどさ。

でも、君がいたから、私の人生は結構いいものになってると思うんだ。

デビューまでの8年間、デビューしてから1年間。

どうもありがとう。

 

 

これから、悲しいことがたくさん起こるかもしれない。

 

でも、きっと楽しいこと、嬉しいこと、それ以上の感動が待っているはずだ。

人のために頑張れるメンバーがいること。

君の幸せを自分のことのように願っている人がいること。

君のことが大好きな人がいること

こんな素敵なことだけ、忘れないでいてくれれば私は何度でも君の魔法にかかることができる気がする。

 

デビューしたから、君に明確なゴールはなくなった。

だから、いつまでも走り続けてくれ。

 

私も、いつまでも走り続けよう。

もう次の夢も決まった。

神宮寺勇太くんのことを忘れるぐらい無我夢中で走り続けていた大学時代に見つけたもうひとつの夢だ。

君の光を感じながら、私は準備運動を始め出した。

君のアイドル人生を観劇し続けるのも、もちろん私の夢だ。

君が夢を叶え続ける限り、私の夢も続いていく。

 

神宮寺勇太くん。

君が死ぬ時が、君のアイドル人生の終演だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなクソ長ブログを読んでいただきありがとうございました。

よろしければ、少しだけ、一瞬だけでもいいので、King & Princeを応援していただけると幸いです。

 

 

貴方の夢も叶いますように。