神宮寺勇太くん、22歳の誕生日おめでとうございます
神宮寺勇太くん、22歳の誕生日おめでとう。
君に出会ってから9回目の誕生日。
歳を重ねれば重ねるほどかっこよくなっていく君に、私は少しでも感謝を返せているかな。
毎日お仕事頑張ってくれてありがとう、輝いている君の姿、いつも見てるよ。
一歩一歩前に進む努力をしてくれてありがとう、歩いていく君の足音、いつも聴こえてるよ。
ファンやお仕事のことをいっぱい考えてくれてありがとう、思考している君の言葉、いつも感じてるよ。
今日は君の誕生日だから、たくさんの愛と感謝を伝えたいよ。
毎日頑張ってくれてありがとう。
アイドルという職業を選んでくれてありがとう。
生まれてきてくれてありがとう。
私が神宮寺勇太くんを好きになったのは中学生の頃で、あの時の私は本当に君に救われていたんだ。
誰かの誕生を祝う時、それは生まれてきてくれてありがとうって思う時で、いつも、命のことを考える。
生きることってなんなんだろうって。
私は誰かの生命を考える時、自分の価値を考える。
突然だが、私は軽度のアスペルガー症候群だ。
私が社会で生きづらいのはそれだけのせいじゃないけど、自分と社会とのズレに1つ名前がついたのは有り難かった。
私は両親に愛されているし、父は受験勉強している私を遊びに連れ出したりする愉快な人だし、母が教育で心がけていたのは姉と私を比べず平等に接することだったから家族の中で息苦しさも劣等感も感じることはなかったし、姉はいつも楽しいことを私に教えてくれたし、友人にも恵まれているから自分が不幸だと思ったことはない。
だから自分と社会のズレを露呈して自分が不幸みたいにアピールするのは、本当は嫌だ。
自分より不幸な人の方が多いし、私の人生は幸せだ。
でも誰かが言わなきゃ、って思う。
しんどかったー、って。
しんどくて、家族の前でも傷ついた顔したくなくて、シャワーで声と涙を誤魔化しながら泣いてた子が、今も生きてるってこと。
まぁ、今しんどい子がいたとしてもその子の痛みはその子だけのものだから、わかるよ、なんて無責任に同情の言葉をかけたりはしない。
でもどうか、自分の価値をさげるようなことはしないでほしい。
こんな、今のところアララ〜って人生送ってるヤツでも生きてるし、自分の価値はこれだって思ってることを今から書く。
自分に価値ないかもと考えるまでって他人からみればそんなことで?って感じだけど結構しんどい。
私は人より心配性ですごく気にしいだ。
そのくせ正義感が強く、いつも人の顔色を気にしてしまう。
アスペのせいか、人の言っている言葉が認識できない時も多いし、言葉に含まれている意味を汲み取るのも苦手で、汲み取りすぎることもある。
小さい頃から漠然と、生きづらいなって思ってた。
小学校の頃は同級生たちと意思疎通が上手くできず突然泣いては周りを困らせていたし、中学の頃は女子生徒全員から無視され、机に死ねと書かれたこともあった。高校の頃は性被害にもあって、言葉にできない違和感から不登校にもなったし、大学の頃は心から信頼していた人間に裏切られたこともあった。
そんな私はよく、自分の価値を考える。
いろんな人に迷惑かけたり、私に危害を与えてしまうぐらい相手に嫌な思いをさせてる自分の生きてる意味ってなんだろ、価値ってなんだろ。
私が生きていることで、世界にどういう影響があるんだろ。
もしかして私、生きてなくてもいいんじゃない?
こういうことって普通の人は考えないんだって、大人になってから知った。
どんな人が普通の人かはわからないけど、普通そんなこと考えないよって誰かに言われた。
で、これがどうして神宮寺勇太くんに繋がるかっていうと。
安心して。
彼が私の生きる意味なんて重いこと言わないから。
誰かを好きでいること。
これが生きる意味なんじゃないかって思う。
それは同じ学校の先輩でもいいし、アイドルだっていいし、アニメのキャラでもいいし、ご両親でもいいし、友達でもいいし、自分でもいい。
私はいつも誰かを好きだった。
それは同級生の男の子だったり、嵐の二宮和也だったり、アイドリッシュセブンの六弥ナギだったり、俳優の木村達成だったり、ジャニーズJr.の、Princeの、King & Princeの神宮寺勇太だったり。
どれだけ負の感情を自分に向けられていても私が、誰かに、何かに、好きの感情を向けられていたら、それだけで私の生きる価値になる。
そう思うんだ。
その気持ちに向こうが気づいていてもいなくても。
生まれてきてくれて、アイドルになってくれて、夢を見続けてくれて、ありがとうって言えるだけでもいいんだ。
なんでもない日にこんなこと言ったら、あ〜そういう人なんだねってなるだけだけど、今日は君の誕生日だから。
いっぱいの愛を伝えたいよ。
君に誰がなんて言おうと、何があっても、君を好きな人がここにいる。
それだけで君の未来の何かに繋がるし、私の生きる価値も生まれる。
ホント、こんなこと書いて何になるわけ?みたいな。
お前がアスぺとかいじめられてたとかマジどうでもいいよ、共感されたいだけでしょって、悲しいこと書くと割とよく言われるセリフ。
すべてを他人に共感してもらえるなら、その人がそこにいる意味ってないのでは?『共感』なんてどうでもよくない?
ってこれは私の好きな詩人の言葉。
共感なんてどうでもいいって言葉に共感したってのもホントおかしい話だけど。
多分、この言葉は私に共感すんなって話じゃなくて、みんなに共感されてもそれはお前の価値じゃないし、誰にも共感されなくてもそのズレはお前の生きる意味だぞってことだと思う。
わたしの考えはわたしのもの。
あなたの考えはあなたのもの。
押し付け合うものではないし、どっちが正しいって決めつけられるものでも無いと思う。
神宮寺勇太くんの誕生日はいつも、わたしの人生に現れてくれてありがとうって思う。
わたしの過去はわたしが一生負っていく傷。
痛みは消えないけど何かを好きでいる時、その痛みは誤魔化せるんだ。意識の中に紛れていくんだ。
わたしの価値は誰かを好きでいること。
誰かに愛を捧げること。
どれだけ誰かに傷つけられようと傷つけてしまってもその痛みや苦しみは誰かを好きでいれば紛れていく。
忘れることはないけれど、誤魔化せる。
神宮寺くんがわたしの人生に現れていなかったら、きっとわたしは他の誰かを好きで、その人への好きで痛みを紛れさせていたのかもしれない。
でも、きっと、小さい、沢山の愛で紛らわしていたとは思う。
こんな、大きな、1つの愛で傷を隠せていたとは思えない。
神宮寺勇太くんはわたしの人生の絆創膏だね。
ちょっと変なこと言ったごめん。
改めて、神宮寺勇太くん。
22歳の誕生日おめでとう。
沢山の人に祝われて、沢山の人を愛し、愛されて、君は成長していくんだね。
君の未来が明るくなるように、照らしてあげたいよ。
君が思うより、わたしたちは君のことを思ってるよ。
どうか幸せな22歳を!!