記念日に書くやつ

King&Prince の記念日に書くやつです

愛という季節で


音がする。

たぶん、扉をノックする音。

まだ小さくてみんなが通り過ぎていくけれど、この扉を開けたいですって意志のある音がする。


もちろんこの音に気づいている人もすでにいて、開けようとしてあげている。

でも扉は開かない。

開けようにもこの扉にはドアノブも鍵穴もないし、引くのか押すのか、それさえもわからない。


この扉を開けたところで、彼らには足枷やら手枷やらがたくさんついていて、出られないかもしれない。

わたしたちには切れない鎖が荊のように絡まっていて、解こうとするたびに彼らを傷つけてしまうかもしれない。


それでも彼らは、この扉を開けるために小さな音を鳴らし始めた。

 


2020年5月23日からの1年間。

わたしたちはいつもの1年より、辛いことの多い1年を過ごした気がする。

生活が苦しい。友達とは遊べない。ライブや舞台は行けない。

ずっと我慢のような時間が続き、追い討ちのようにKing & Princeにとって大事なピースが零れ落ちていってしまった。


あぁ、誰のことも責められない。

誰も悪くないよ。大丈夫だよって、だれか言ってよ。


心にぽかりと穴が開いてしまうような喪失感。

それでも、日常が続いていく違和感。


家に帰ってきて、玄関で靴も履いたまま鞄も肩にかけたまま、寝っ転がって泣いたんだ。

イヤホンからKing & Princeの曲が流れていたけど、なんの曲が流れていたのか思い出せない。

唸りながら靴を脱いで適当に放った。

みんながこの悲しみをどう受け止めているかなんてどうでもよくてスマホもどっかに投げた。

イヤホンも耳から引っこ抜いてコードもぐしゃぐしゃのまま手で握りしめた。


それでもまぁ、生きてるんだよな。

たぶん、わたしは神宮寺勇太くんがアイドルを辞めたりあるいは死んでしまっても、1時間ぐらい泣いたら、その後も普通に生きてると思う。


だから、神宮寺勇太くんが、King & Princeが、どこに行ったって、わたしは大丈夫。

 


2021年5月19日。

7枚目のシングルが発売された。

君たちは本当に、誰も見たことのない場所に行こうとしているんだと思った。

「Magic Touch」のMVを観たとき、本当に世界にいく気なんだって初めて実感が湧いた。

君たちが度々口にする『世界』というフレーズ。

言うだけなら簡単だ。

行動が伴わなければ目標なんてものはなんの意味も持たない。

目標を立てただけで実現できるわけじゃないから。


でも、君たちはわたしたちの見えないところで、あの目標に向かってこういう努力をしていたんだなとはっきり見せてもらった。

君たちにとって『世界』って現実味のない漠然とした夢なんかじゃなくて、自分たちの可能性を目一杯使ったらそこにいけるかもと思える約束なんだ。


神宮寺勇太くんを応援して9年。

King & Princeを応援して3年。

まさか、君たちの口から「グラミー賞」なんて言葉が出てくるとは夢にも思っていなかった。

いけるなら、いってみたいって。

君たちがいきたいと思うならいけるんじゃないかって、そう思わせてくれるような力までついた。


わたしなんてこの前までジャニオタじゃない人が神宮寺勇太くんを知っているだけでテンションが上がっていたのに、もう日本国民は知っていて当たり前みたいな日がくるんだろうか。

海外公演で、日本人以外の人で、スタジアムの客席が埋まるようになるんだろうか。

日本語の楽曲で全米のヒットチャートにはいるなんてことが、本当に、ありえるんだろうか。


そのとき、わたしって、どういう気持ちになるんだろう。


周りの人が知っていて当たり前の人になって、日本人以外のファンも溢れるほどいて、わたしが聴こうと思わなくてもKing & Princeの曲がラジオからもテレビからも路上のBGMからも聴こえてきて、わたしはどういう気持ちになるんだろう。


教えて欲しい。

現実にして、わたしに教えて欲しい。

まだ知らない感情を、わたしにたくさん教えて欲しい。


わたしの愛するグループが、夢を叶えたとき。

わたしの愛するグループが、世界の人々に愛されるとき。

わたしの愛するグループが、日本人として差別の矢面に立つとき。


わたしはどういう気持ちになるのかな。

自分だけでは味わえない達成感と喜び。

多くの人たちと君たちを共有できる感動と幸福。

世界は不平等なのだと思い知らされ、大切な人を傷つけられる絶望と怒り。


全く想像もつかない。

わたしの感情も。君たちの感情も。


君たちには、見えていますか?

3年目の君たちには、未来の自分は見えていますか?


わたしは、君たちが夢を叶えるなら日本での活動がなくなってもいいと思っている。

こんな狭い、斜陽の島国にいなくたっていい。

君たちが日本という国に固執しなくなったとしても、それでも、


君たちが日本人という理由だけで心ない言葉を吐きかけられたとき、わたしたちは必ず、君たちと共に戦います。


わたしは、BTSがアジアンヘイトへのツイートをして初めて、彼らがどんな差別を受けてきたのかを調べた。

ゾッとするほどだった。

アジア系というだけで、韓国人というだけで、こんなことを言われるのかと頭を抱えた。

わたしが海外の人を見て問答無用でカッコいいと思ってしまうのと同じように、アジア系の人を見て問答無用で醜い汚いと思ってしまう人がこの世の中にはいるのだ。


君たちが、あんな言葉をぶつけられることになったら。

わたしは、耐えられるだろうか。


人気や実力だけじゃどうにもできないものがある。

そんなものとも、君たちは戦っていくことになるんだ。

歴史を変えるってそういうことなんだ。


君たちが世界の扉を叩き始めた2021年。

3周年が過ぎて、4年目の年となる。

今年もきっとライブは難しいだろう。このままだと、わたしたちと君たちの行動は制限されたまま、4周年を迎えて5年目になる。

本当に、時間が過ぎるのはあっという間だ。

君たちが「夢が叶いました」と言うまで、あと何年かかるのだろう。


君たちが開こうとしているその世界の扉。

どうやって開けるかもわからない。

君たちが選んだ「Magic Touch」という方法は正しいのか、今はまだわからない。

何度も何度もたくさんの方法を試して、ようやく開く扉だと思う。


その向こうは本当に誰も見たことがない場所で、何が待ち受けているかもわからない。

君たちの何が足枷になって手枷になるのかわからない。

君たちが頑張っているダンスや歌は足枷になりますか?

君たちが一生変えられない「日本人」というアイデンティティは手枷になりますか?

その枷には、外そうとすればするほど君たちを傷つけてしまう棘がありますか?


わたしたちが、その枷を外す鍵を持っていなかったとしても、君たちの傷を癒す力は持てますか?


大好きな君たちを、守れる力が欲しい。

いつもわたしたちを守ってくれる君たちの心を守れる力が欲しいです。


どうか君たちが大事にしてきたことを踏み潰されても、強大な悪意に晒されても、怒りに飲まれるようなことにならない場所を作ってあげたい。

わたしは君たちが世界に行きたいというから応援します。

でも、世界に行くから君たちが好きなわけじゃないです。

世界に行かなくたって、君たちが好きです。

君たちが幸せを感じられるなら、世界に行ってください。


大好きな君たちが、幸せに笑える世界にいて欲しいです。

 

 

シンデレラガールで始まった君たちの物語。

お伽噺なんかクソだって誰かが言った。

あんな途中で解ける魔法の何がいいの?って。

お伽噺の魔法が解けるのは自分の力じゃないから。

じゃあ、自分の力でかけた魔法は?

 


君たちの物語は途中で魔法が解けるようなシンデレラストーリーじゃない。

君たちにはカボチャの馬車もガラスの靴も必要ない。


君たちは自分の力で扉へと続く階段を一段ずつ登っていくから。

君たちが登っていく階段、もう誰にも突き落としたりさせないように、わたしたちも続いて登っていくよ。

もし君たちが階段を踏み外しそうになったとしても、必ず後ろから支えられるように。


この1年で君たちは大きな一歩を踏み出した。

それが、まだ階段の1段目にも及ばなかったとしても、この1年は君たちにとって、必ず大事な1年になる。

 


1年は52万5600分。

人生の中の、この1年という時間をどう計ろう。


陽の光の数?夜の数?

笑った数や喧嘩の数?


わたしが知った真実の数やわたしたちが悲しみに耽った数。

それとも君たちの覚悟、あるいは彼の死で計る人もいる。


じゃあこの1年を、愛で計るのはどうだろう?


大好きだよ。好きだよ。

いつからか君たちを追いかけていた。

どうしたって君たちじゃなきゃダメだ。

他の誰が誰を好きになろうと、わたしが他の何を好きになろうと、それとは関係なく、わたしは君たちが好きなんだ。

そう気づいた1年だった。


物語はまだ終わらないけれど、愛で人生を計れるならこの1年は、忘れられない季節になる。


大好きな君たちが鳴らし始めた小さな音。

世界への扉を開けたいと願う大きな意志のこもった小さな音。

鍵のかかったドアノブすらない大きな扉。

君たちを繋ぐ棘のある枷。

君たちを傷つけるかもしれない大きな世界。

 


まだ部分的にしか見えない君たちの夢は、いつの日か全てが明るみに出るだろう。

そのときに、君たちのそばにいるのが悪意を持った誰かではなく、わたしたちでありますように。