どうして彼は誰からも愛されるのか
近代能楽集『葵上・弱法師』を観劇した。
観劇前の私は、これがどのくらいヤバイ(語彙)舞台なのかよく分かっていなかった。
そもそも私は三島由紀夫の顔と名前は知っていても、作品を読んだことがない。
近代能楽集は戯曲集ということで読むと台本を読んでいるようなものだから観劇前に原作を読むのはやめた。
代わりに、『東大全共闘vs三島由紀夫』という半ドキュメンタリー映画を観た。
手っ取り早く三島由紀夫がどんな人だったのかを知るためだった。
東大全共闘といえば左翼学生の総本山的な団体。
そこに一人で乗り込む右翼・保守派三島由紀夫。
本当に、観てもらえればわかるんですけど、頭良すぎるとマジで何話してるかわからないんですよ。同じ言語を使っているのに。
政治的な話をしているはずなのに、気づいたらエロティシズムとか時間と空間の話とかしてたりするんですよ。いや、観てもらえればわかるんですけど…。
この壮絶な討論会の一年半後、三島由紀夫は自衛隊の市ヶ谷駐屯地でクーデターを起こし、自決。
私には、具体的に何を話していて、討論できているかすらわからなかったこの映画。
でもなんとなく、彼がどんな思想を持っていて、どんな危機感を持ってあの時代の日本で生きていたのか、知れた気がした。
詳しい方からするとそうじゃないってなるかもしれないけど、とにかくここからは私が観て感じたこと。
彼は自分より年上の男性たちが祖国のために命を賭して戦い死んでいくのを見て、漠然と自分もああならなければと、それこそが日本人としての誇りだと思ったのではないだろうか。
そしてその準備をしていく最中、終戦を迎え、生き延びてしまった。
祖国のために戦い、死ぬのが自分の中での美しさであったのに。
そして、話は『葵上・弱法師』へと戻る。
あらすじはwikiとかで読んでください。
『葵上』の苦しみのイメージはまさに水。
観た人はわかると思いますが、『葵上』は水で『弱法師』は火でしたよね。
なんとなく、どうしてこの二つが対として選ばれたのかわかる気がする。
ふたりは思い出の中で、湖畔でヨットに乗っている。
憎悪や嫉妬の苦しみが水だとしたら、本当にそのギリギリ水面の上をぷかぷかとヨットで浮いている。
ヨットという狭い空間の中でふたりきりの時は幸せなんですよ。世界と切り離されて、もう誰も邪魔できない完璧な空間だった。
でも、転覆させたのは彼。
転覆すれば自分だって溺れるのに。濡れたままの服で陸にあがれると思ってる。
服が濡れたまま陸にあがると、服が水分を含んでいてずしりと重い。
脱ごうとしても纏わり付いて離れない。
その重さから逃げたくなって、また水の中に入ったとしても、結局は溺れてしまう。
私たちは水の中では生きられないのに。
可哀想な若林光。
貴方が美しさという豪華な服を着ていなければ溺れなかったのにね。
ここで20分休憩。
私はこの時点で、ヤバイ舞台を観に来てしまったな、と薄々思っていた。
まず彼に心を奪われて生き霊を飛ばして現妻を苦しませるブルジョワの婦人が出てくる舞台の主演を、今をときめく20代半ばの王子様系アイドルにやらせるか?????と頭を抱えていた。
私たちへの戒めとしか思えない(重
結局彼との楽しい思い出に溺れているのは私たちで、彼の美しさに囚われて水の中の苦しみに引き摺り込んでいるのも私たち…??
と、考えているうちに20分が終わり、『弱法師』が上演。
これが、『葵上』を超える痛々しさだった。
まぁとにかく何も考えずに観てもすごいんですよ。
あの、自分がどんな動きをしているのか見えないが故の不思議な腕と指の動き。
いやぁ頑張ってんな〜!?って思って観てた。
ら、もう。
嘘だろ。私って今日生きて帰れる?って思った。
これをジャニーズのアイドルにやらせるなんて正気の沙汰じゃない(褒めてる)
みんな、最後のセリフのヤバさ受け止められた???
私は今も受け止めきれてない。
彼は終始言葉のナイフで生みの親と育ての親を傷つけ、これでも愛してくれるのかずっとみんなを試してる。
それでしか、愛を確かめられない。
彼が世界の輪郭を知ったのも、その方法だったから。
痛みでしか世界の輪郭を捉えられない。
自分が触る人や物の輪郭はただの凸凹なんだって。
でもみえる人たちはその凸凹を愛している。
そんなもの、痛みの中では救いにもならないのに。
俊徳も、戦争の中で自分は死ぬべきだと思ったのかもしれない。
地獄と語ったあの炎の中で、彼は一抹の美しさをみたのかもしれない。
その瞬間こそが世界の本当の姿で、真理と引き換えに視力を失ったと感じているのかもしれない。
誰が彼を救えるんだろうか。
もし、彼の目が見えるようになって、なぜ自分が愛されるのかを知ったとしても彼は救われないだろう。
一生終わることのない孤独の中で俊徳は生きていくしかないんだ。
どれだけ愛されても、どれだけ認められても、彼の中の孤独がなくなることはない。
その愛が優しさが本物かどうかを確かめる術なんてないから。
誰もが彼の美しさに目を奪われ、魅惑的な狂気に屈していく。
滑稽なまでに従順な両親たちに親近感さえ湧いてくる。
私は彼の孤独に寄り添えているんだろうか。
アイドルを応援していく中で、いつも疑問に思う。
「私は彼の見た目や取り繕った外面が好きなのかもしれなくて、彼の本当の姿なんて見たことがないのにそれを好きだと言っていいのだろうか」
その弱さを、ぐりぐりと抉られる。
アイドルオタクの私、この舞台に耐えられるか、否。
私は帰り道にたくさんのオタクに囲まれながらぼんやりと歩いた。
みんな、受け止められた?
「考えさせられる舞台でした」なんて一言でいえば終わってしまうけれど、この舞台を観てから時々ふと、思う。
どうして、彼は、誰からも愛されてしまうんでしょうね。