記念日に書くやつ

King&Prince の記念日に書くやつです

愛という季節で


音がする。

たぶん、扉をノックする音。

まだ小さくてみんなが通り過ぎていくけれど、この扉を開けたいですって意志のある音がする。


もちろんこの音に気づいている人もすでにいて、開けようとしてあげている。

でも扉は開かない。

開けようにもこの扉にはドアノブも鍵穴もないし、引くのか押すのか、それさえもわからない。


この扉を開けたところで、彼らには足枷やら手枷やらがたくさんついていて、出られないかもしれない。

わたしたちには切れない鎖が荊のように絡まっていて、解こうとするたびに彼らを傷つけてしまうかもしれない。


それでも彼らは、この扉を開けるために小さな音を鳴らし始めた。

 


2020年5月23日からの1年間。

わたしたちはいつもの1年より、辛いことの多い1年を過ごした気がする。

生活が苦しい。友達とは遊べない。ライブや舞台は行けない。

ずっと我慢のような時間が続き、追い討ちのようにKing & Princeにとって大事なピースが零れ落ちていってしまった。


あぁ、誰のことも責められない。

誰も悪くないよ。大丈夫だよって、だれか言ってよ。


心にぽかりと穴が開いてしまうような喪失感。

それでも、日常が続いていく違和感。


家に帰ってきて、玄関で靴も履いたまま鞄も肩にかけたまま、寝っ転がって泣いたんだ。

イヤホンからKing & Princeの曲が流れていたけど、なんの曲が流れていたのか思い出せない。

唸りながら靴を脱いで適当に放った。

みんながこの悲しみをどう受け止めているかなんてどうでもよくてスマホもどっかに投げた。

イヤホンも耳から引っこ抜いてコードもぐしゃぐしゃのまま手で握りしめた。


それでもまぁ、生きてるんだよな。

たぶん、わたしは神宮寺勇太くんがアイドルを辞めたりあるいは死んでしまっても、1時間ぐらい泣いたら、その後も普通に生きてると思う。


だから、神宮寺勇太くんが、King & Princeが、どこに行ったって、わたしは大丈夫。

 


2021年5月19日。

7枚目のシングルが発売された。

君たちは本当に、誰も見たことのない場所に行こうとしているんだと思った。

「Magic Touch」のMVを観たとき、本当に世界にいく気なんだって初めて実感が湧いた。

君たちが度々口にする『世界』というフレーズ。

言うだけなら簡単だ。

行動が伴わなければ目標なんてものはなんの意味も持たない。

目標を立てただけで実現できるわけじゃないから。


でも、君たちはわたしたちの見えないところで、あの目標に向かってこういう努力をしていたんだなとはっきり見せてもらった。

君たちにとって『世界』って現実味のない漠然とした夢なんかじゃなくて、自分たちの可能性を目一杯使ったらそこにいけるかもと思える約束なんだ。


神宮寺勇太くんを応援して9年。

King & Princeを応援して3年。

まさか、君たちの口から「グラミー賞」なんて言葉が出てくるとは夢にも思っていなかった。

いけるなら、いってみたいって。

君たちがいきたいと思うならいけるんじゃないかって、そう思わせてくれるような力までついた。


わたしなんてこの前までジャニオタじゃない人が神宮寺勇太くんを知っているだけでテンションが上がっていたのに、もう日本国民は知っていて当たり前みたいな日がくるんだろうか。

海外公演で、日本人以外の人で、スタジアムの客席が埋まるようになるんだろうか。

日本語の楽曲で全米のヒットチャートにはいるなんてことが、本当に、ありえるんだろうか。


そのとき、わたしって、どういう気持ちになるんだろう。


周りの人が知っていて当たり前の人になって、日本人以外のファンも溢れるほどいて、わたしが聴こうと思わなくてもKing & Princeの曲がラジオからもテレビからも路上のBGMからも聴こえてきて、わたしはどういう気持ちになるんだろう。


教えて欲しい。

現実にして、わたしに教えて欲しい。

まだ知らない感情を、わたしにたくさん教えて欲しい。


わたしの愛するグループが、夢を叶えたとき。

わたしの愛するグループが、世界の人々に愛されるとき。

わたしの愛するグループが、日本人として差別の矢面に立つとき。


わたしはどういう気持ちになるのかな。

自分だけでは味わえない達成感と喜び。

多くの人たちと君たちを共有できる感動と幸福。

世界は不平等なのだと思い知らされ、大切な人を傷つけられる絶望と怒り。


全く想像もつかない。

わたしの感情も。君たちの感情も。


君たちには、見えていますか?

3年目の君たちには、未来の自分は見えていますか?


わたしは、君たちが夢を叶えるなら日本での活動がなくなってもいいと思っている。

こんな狭い、斜陽の島国にいなくたっていい。

君たちが日本という国に固執しなくなったとしても、それでも、


君たちが日本人という理由だけで心ない言葉を吐きかけられたとき、わたしたちは必ず、君たちと共に戦います。


わたしは、BTSがアジアンヘイトへのツイートをして初めて、彼らがどんな差別を受けてきたのかを調べた。

ゾッとするほどだった。

アジア系というだけで、韓国人というだけで、こんなことを言われるのかと頭を抱えた。

わたしが海外の人を見て問答無用でカッコいいと思ってしまうのと同じように、アジア系の人を見て問答無用で醜い汚いと思ってしまう人がこの世の中にはいるのだ。


君たちが、あんな言葉をぶつけられることになったら。

わたしは、耐えられるだろうか。


人気や実力だけじゃどうにもできないものがある。

そんなものとも、君たちは戦っていくことになるんだ。

歴史を変えるってそういうことなんだ。


君たちが世界の扉を叩き始めた2021年。

3周年が過ぎて、4年目の年となる。

今年もきっとライブは難しいだろう。このままだと、わたしたちと君たちの行動は制限されたまま、4周年を迎えて5年目になる。

本当に、時間が過ぎるのはあっという間だ。

君たちが「夢が叶いました」と言うまで、あと何年かかるのだろう。


君たちが開こうとしているその世界の扉。

どうやって開けるかもわからない。

君たちが選んだ「Magic Touch」という方法は正しいのか、今はまだわからない。

何度も何度もたくさんの方法を試して、ようやく開く扉だと思う。


その向こうは本当に誰も見たことがない場所で、何が待ち受けているかもわからない。

君たちの何が足枷になって手枷になるのかわからない。

君たちが頑張っているダンスや歌は足枷になりますか?

君たちが一生変えられない「日本人」というアイデンティティは手枷になりますか?

その枷には、外そうとすればするほど君たちを傷つけてしまう棘がありますか?


わたしたちが、その枷を外す鍵を持っていなかったとしても、君たちの傷を癒す力は持てますか?


大好きな君たちを、守れる力が欲しい。

いつもわたしたちを守ってくれる君たちの心を守れる力が欲しいです。


どうか君たちが大事にしてきたことを踏み潰されても、強大な悪意に晒されても、怒りに飲まれるようなことにならない場所を作ってあげたい。

わたしは君たちが世界に行きたいというから応援します。

でも、世界に行くから君たちが好きなわけじゃないです。

世界に行かなくたって、君たちが好きです。

君たちが幸せを感じられるなら、世界に行ってください。


大好きな君たちが、幸せに笑える世界にいて欲しいです。

 

 

シンデレラガールで始まった君たちの物語。

お伽噺なんかクソだって誰かが言った。

あんな途中で解ける魔法の何がいいの?って。

お伽噺の魔法が解けるのは自分の力じゃないから。

じゃあ、自分の力でかけた魔法は?

 


君たちの物語は途中で魔法が解けるようなシンデレラストーリーじゃない。

君たちにはカボチャの馬車もガラスの靴も必要ない。


君たちは自分の力で扉へと続く階段を一段ずつ登っていくから。

君たちが登っていく階段、もう誰にも突き落としたりさせないように、わたしたちも続いて登っていくよ。

もし君たちが階段を踏み外しそうになったとしても、必ず後ろから支えられるように。


この1年で君たちは大きな一歩を踏み出した。

それが、まだ階段の1段目にも及ばなかったとしても、この1年は君たちにとって、必ず大事な1年になる。

 


1年は52万5600分。

人生の中の、この1年という時間をどう計ろう。


陽の光の数?夜の数?

笑った数や喧嘩の数?


わたしが知った真実の数やわたしたちが悲しみに耽った数。

それとも君たちの覚悟、あるいは彼の死で計る人もいる。


じゃあこの1年を、愛で計るのはどうだろう?


大好きだよ。好きだよ。

いつからか君たちを追いかけていた。

どうしたって君たちじゃなきゃダメだ。

他の誰が誰を好きになろうと、わたしが他の何を好きになろうと、それとは関係なく、わたしは君たちが好きなんだ。

そう気づいた1年だった。


物語はまだ終わらないけれど、愛で人生を計れるならこの1年は、忘れられない季節になる。


大好きな君たちが鳴らし始めた小さな音。

世界への扉を開けたいと願う大きな意志のこもった小さな音。

鍵のかかったドアノブすらない大きな扉。

君たちを繋ぐ棘のある枷。

君たちを傷つけるかもしれない大きな世界。

 


まだ部分的にしか見えない君たちの夢は、いつの日か全てが明るみに出るだろう。

そのときに、君たちのそばにいるのが悪意を持った誰かではなく、わたしたちでありますように。

 

 

岩橋玄樹くんへ

岩橋玄樹くんへ

 

わたしは神宮寺勇太くんのファンです。

神宮寺勇太くんを応援して10年目になりました。

ということはげんきくんのことも10年間見ていました。

ずっと、彼と一緒でしたね。

ずっと、頑張ってきましたね。

 

きっと、わたしたちの好きがげんきくんには重荷になっていた時もあったと思います。

 

それでも、いつでもわたしたちに愛を伝えてくれたげんきくんに、まずはありがとうの気持ち。

 

そして、わたしたちのことで気に病むことがどうかありませんように、の気持ち。

 

げんきくんはおやすみの間、わたしたちのことは考えずに過ごしてもらっていた方がよかったのだろうけど、きっと優しいげんきくんは考えてしまっていたのかなと思います。

 

わたしたちは、げんきくんがおやすみの間、小さな愛を少しずつ、いっぱい集めてきました。

 

うさぎやくまのぬいぐるみ。

ピンクにアレンジされるライブ衣装。

『5+1』のハンドサイン。

誰もいない場所を照らすスポットライト。

想いのこもった歌詞。

1人を指す『君』という言葉。

 

げんきくんがわたしたちにくれる大きな愛とは少し違うけど、こぼれ落ちてくるげんきくんへの小さな愛たちに、わたしたちは元気をもらっていました。

 

 

 

人が人を忘れる時、1番に思い出せなくなるのはその人の声だそうです。

 

それでも、私たちはげんきくんが歌ってきた曲を聴けば、シンデレラになれるし、永遠を誓うことができます。

大丈夫。忘れたりしないよ、忘れたりできないよ。

 

King & Princeはこの3年間で瞬く間に大きなグループとなりました。

きっとマスコミは5人やげんきくん、周囲の人間に挙って話を聞きたがるだろうし、ファンにもその手は及ぶでしょう。

みんながげんきくんに注目し、あれやこれやと意見を言うでしょう。

5人しか知らなかった人はげんきくんにひどいことを言うかもしれません。

 

どうか、どうかそんな、時と共に薄れていく世間の声に負けたりしないで。

 

げんきくんはとても立派でした。

病気と闘いながら、よく頑張りました。

きっと、わたしたちの知らない努力が、たくさんあったのでしょう。その努力のおかげで、わたしたちは辛いことがあっても苦しいことがあっても乗り越えることができました。

本当にありがとう。

 

誰がなんと言おうと、げんきくんがKing & Princeにいたことに必ず意味がある。

げんきくんが、ジャニーズ事務所に所属して、アイドルとして活動していたことには、必ず意味がある。

絶対に人を幸せにして、勇気づけていた。

わたしも、救ってもらった1人なのだから。

 

 

ここで終わりなんかじゃない。

げんきくんはこれからも、なんにだってなれる。

げんきくんはこれからも、なんだってできる。

 

これは君の負けなんかじゃない。君の弱さなんかじゃない。

今、げんきくんが生きていることが1番大事だ。

今も闘っている証拠だ。負けるな。頑張れ。

 

 

わたしたちも負けない。

どんな悲しみも、挫折も、わたしたちを辱めたり、損ねたりしない。

わたしたちはこの悲しみも糧にして、強く、美しく、豊かな心を育てていく。

彼らがこれからもげんきくんの親友であるように、わたしたちもこれからもげんきくんを応援しているよ。

 

 

大丈夫。誰も、負けたりなんてしないよ。

 

 

5人での活動が長くなってきて、わたしですらげんきくんがいないKing & Princeの画に悲しみを感じることも少なくなっていました。

 

それでも、5人がげんきくんの座る場所や立つ場所を作る時、喜びと共に得も言われぬ寂しさが襲ってきていました。

存在としてげんきくんはそこにいるのだとわかっているのに、胸がグッと苦しくなったのです。

 

そんな気持ちになる時に限って、5人はふとげんきくんの名前を口にしてくれました。

〇〇なメンバーは誰?とかメンバーと〇〇をするなら誰とがいい?みたいな質問に、あっさりげんきくんの名前を挙げるんです。

本当に、何の迷いもなく、言うんです。そこにいるみたいに。

 

わたしはいつの間にか、げんきくんの名前を呼ぶことを怖がっていたのかもしれない。

呼ぶだけで悲しくなる、今いない人の名前を挙げて周りにまでその悲しさを伝染させたくない。

岩橋玄樹』という名前は、悲しさや寂しさを想起させるものじゃないはずなのに。

 

『不在』という圧倒的な存在感に、わたしは負けていたのかもしれません。

5人は怖がってもいなかったのに。

 

げんきくん、君にお願いがあります。

 

どうか、自分を責めたりしないでください。世の中には果たせなかった約束なんてごまんとあります。

その中のひとつだっただけです。

 

あなたの心は弱くなんてありません。

げんきくんは強く、美しく、清らかです。

これからも自分を愛して、周りの人と手を取り合って、ゆっくり歩んで行ってください。

 

このご時世、気の滅入ることや落ち込むことがとても多かったです。

世間の暗いムードに引っ張られ、げんきくんの決意が誰かの世界に暗闇を落としてしまうこともあるかもしれません。

 

それでも、

 

わたしは君が好きだ。君が大好きだ。

1番じゃないけれど、君がわたしの中で特別な存在であることは確かだ。

そして、わたしの1番の人の、特別な存在であることも確かだ。

 

その事実だけで、わたしはげんきくんが『不在』だったこの2年間を肯定できるし、これからの未来も見据えることができる。

 

どれだけ遠くに行ったって、どれだけ姿が見えなくたって、わたしは、わたしたちは、げんきくんを好きでいることができる。

げんきくんが、わたしたちを愛してくれていて、期待に応えようとしていることを知っているから。

 

わたしたちはこれからの未来で、そのことを証明してみせる。

 

 

君は、ピンクの光であり、ピンクの薔薇であり、ピンクの王子様だ。

どれだけ脚元に暗い影が落ちようとも、君がいればわたしたちは光の中にいると気づける。

どれだけ長い雨が降ろうとも、君がいればわたしたちはその中に咲く花を見つけられる。

どれだけ汚されようとも、君がいればわたしたちは自分がお姫様であったことを思い出せる。

 

長い長い、王子様の眠り。

目を醒ます術はお姫様からのキスでしょうか。

 

わたしたちの声援が、君への呪いを解く魔法となりますように。

 

 

大好きだよ。

君がいても、いなくても。

 

 

 

 

10年目のファンレター

 

神宮寺勇太くん、23歳の誕生日おめでとうございます。

 

私が貴方の存在を知ってから10年が経ちました。

田舎の中学生だった私は東京の会社員になったし、芸能界の右も左もわからなかった男の子は日本を席巻するアイドルになりました。

 

10年で私たちは大人になれたのでしょうか。

 

私は未だに、夜中のトイレが怖いし、休みの日はゲームで遊んでいるし、高いヒールの靴は履けないし。

私は未だに、あなたが好きで応援をしている。

 

大学の先生に「1つのモノをずっと好きなのは進歩がない」と言われたことがあります。

その意見には賛成です。

永遠に1つのモノが好きなんてことはないし、私たちは成長していく生き物だからどんどんいいモノを見つけて好きなモノをアップデートしていくべきだと。

 

しかし、その定義に当てはまらない場合もあると思います。

それは好きである対象のモノも成長している場合です。

 

私がずっとポケモンどうぶつの森で遊べるのは時代と共に進化しているからだし、私がずっと日清のチョコフレークと明治のヤンヤンつけボーを食べているのも細かな商品開発がされているからだし、私がずっと神宮寺勇太くんを好きでいられるのも貴方の成長があるからだと思います。

 

私がずっと神宮寺勇太くんを好きなのは、私が成長してないからじゃなくて。

私も、神宮寺勇太くんも、成長しているから。

 

そのことを10年間、証明し続けてくれてありがとう。

きっとこれからも貴方は止まらずに成長し続けるのだろうし、私はきっとこれからも貴方が好きで応援していると思います。

 

努力というのはいつもシリアスな苦労のように、涙を誘う感動のように扱われるけれど。

そうじゃないことを、私は貴方の努力と自分の努力から知りました。

私たちの努力は、苦労でも感動でもなくて、夢中なんだと。

 

貴方は多分、周りになんと言われようとアイドルでいることを辞めないし、私は多分、周りになんと言われようと自分のやりたいことをやってしまうのだと思います。

 

神宮寺勇太くん、貴方の、夢中の10年間。

とてもカッコ良かったです。私も貴方のようにありたいと思います。

 

神宮寺勇太くんが理由なく優秀な人間として生まれたわけではなく、日々の行動によって構築された優秀な人間であることが私の誇りです。

そんな人を好きになれたことが、私の誇りです。

 

きっとこれからも貴方は夢中の日々を構築していき、どんどん高いところへ歩んでいくでしょう。

そんな日々の中でも、どうしようもないことは起こると思います。

自分の力ではどうにもできない、夢中だけではどうにもできないことが。

それでも貴方は世界に行くと言いました。

約束したと、世界に進出すると、貴方たちは言いました。

私は世界と戦ったことがないから、貴方たちにどんな壁が待ち受けているのかも想像がつきません。

小柄で童顔なことが壁になるのでしょうか。

貴方たちが磨いてきた歌やダンスですら稚拙だと言われてしまうのでしょうか。

日本で輝く貴方たちも世界という広い場所では小さな瞬きに過ぎないと見えないフリをされてしまうのでしょうか。

 

目指す場所が高ければ高いほど、苦しいことは多くなると思います。

苦しくなくちゃ、頑張ったことにならないなんて言う人もいるでしょう。

それでも、苦しみ以外にも、貴方たちを上へ導くものがあります。

 

初めて自分のうちわを客席に見つけた時。

600席の劇場で歌っていた時。

お店に自分たちのCDが並ぶのを見た時。

 

私にはわからないけれど、どの瞬間も、きっと楽しくて嬉しかったはず。

今までの苦しかったこととか、全部忘れちゃうぐらいの喜びがそこにはあったはず。

 

いつだって、貴方たちを導くのは出来なかったことが出来た時の楽しさや誰かとそれを共有する喜びだということ。

 

エンターテイメントというのはどこまでいっても娯楽で、アイドルというのは消費されるものであるけれど、ファンである私たちの感動はいつだって本物の喜びだということ。

 

苦しい、悔しいという気持ちも、もちろん上へ導いてくれる時もあります。

それでも、全ての人がたどり着けるわけではない険しい山を登る時に、私たちを上へ導いてくれるのは楽しい、嬉しいという気持ちだと思います。

楽ではない道だけど、楽しいことをどうか忘れないで。

 

 

10年で、貴方は物事をどう捉えるように変わったのでしょうか。

怒られたり凹んだりすることが起きても、「あ〜あ、俺ってかわいそう」と思って終わりだと言っていた貴方はまだいますか。

どうか、そこは変わらないでいてください。

理不尽な目に会うことも多い職種でしょうが、受け流せるだけの器量を貴方は持っていると信じています。

 

些細な、理不尽な出来事だけじゃなくて。

人生を左右するような大きな渦に飲まれたとしても、どうか自分を信じて、仲間を信じて、進んでください。

 

今日のこの10月30日で貴方がドン底だったと語った18歳から5年が経ちました。

これからの長い人生で、ドン底が何度あるのでしょうか。

どうか、23歳の1年がドン底ではなく、これからの未来に歩んでいく大きな一歩の1年となりますように。

 

もし、ドン底となってしまっても、貴方が諦めることがありませんように。

血反吐を吐いても走り続けることを、貴方が選びますように。

 

L&の配信初日のMCでみんなが各々の仕事の宣伝をする中、貴方は1人、静かに聞いていました。

2日目にはDREAM BOYSの宣伝ができるようになりましたが、それでも、単独の仕事ではなかった。

私ももちろん悔しかったけれど、貴方はどう思ったのでしょう。

貴方は滅多に心を乱すことはないですが、悔しいと思ったのでしょうか。

 

グループが人気の絶頂になろうとしている今、たくさんの仕事がメンバーに振り分けされて、その分配が偏ることもあるでしょう。

そんな時、『焦らず、ゆっくりでいい』と周りは言います。

『チャンスは等しく回ってくる』と。

 

そんなことはないです。

チャンスは準備された心に降り立つ。

偶然は準備のできていない人を助けない。

幸運は用意された心のみに宿る。

フランスの細菌学者ルイ・パスツールの言葉です。

『Chance favors the prepared mind』


私は貴方が特別好きだけれど、モデルができるほど背が高いわけではないし、演技派と言われるほど演技の経験も積んでいないし、グループの中で目を引くほど歌やダンスが飛び抜けて上手いわけじゃない。

他人よりチャンスが少ないと、心得てください。

そして、その少ないチャンスを1つも取り零すことのないように掴んでください。

貴方は、貴方こそは、いつも万全でチャンスの最前列にいてください。

 

10年で貴方は努力というのをどう捉えるように変わったのでしょうか。

座右の銘は「天は自ら助くる者を助く」だと言った貴方はまだいますか。

どうか、そこは変わらないでいてください。

時の運が人生を左右することもある職業ですが、貴方が天さえも味方につけるような、正しい努力のできる人であることを私は信じています。

 

普段を蔑ろにする人たちには掴めないチャンスを、掴んでください。

笑われても、貶されても、チャンスを掴んでほしいです。

 

貴方がそのチャンスを掴む瞬間、きっと私たちも息を飲んで見届けられることを願っています。

そして、そのチャンスを掴んだ先にある未来を見ることも叶いますように。

 

 

23歳というのは人生で楽しい時期だと思います。

若いからこそ出来ることもたくさんあると思います。

 

それでも、アイドルという職業を選んだ貴方には出来ないことがたくさんある。

同世代の子たちが、自由に恋愛を楽しんでいたり、何のプレッシャーもなく休日を楽しんでいることがとても羨ましくなるときもあるかもしれない。

 

23歳の時しか出来ないこと。

貴方しか出来ないこと。

どちらが貴方にとって大切かは、私にはわかりません。

 

そもそも、自分にしかできないことってなんなのだろうと、日々もがいているのでしょうか。

もがくだけの価値が、貴方にはあると思います。

苦しくて、辛くて、どうしようもなくても、その先の光を信じる価値が、貴方にはあると思います。

 

美しさとは、光がなければ見えないものです。

私の知らないところで、自信をなくしてしまったり悩んだりして、自分の暗い影が見える時、貴方は光の中にいるということを忘れないでほしい。

光の中にいるからこそ、影が見えるのだと。

 

挫け、悩み、戦う、その姿こそが、美しいのだと、忘れないでほしい。

 

 

大好きな貴方が、苦しむ姿なんて見たくないけれど、それでも、苦悩のない人生などないのだから。

笑ってる貴方だけしか見ていない私たちには、わからないこともたくさんあると思います。

もし、私だけじゃない多くのファンの声で、貴方の苦悩が少しでも和らぐのなら。

私は、この先の10年も、貴方が好きだと声に出して言いたいです。

 

だからこの先も、私が『King & Princeの神宮寺勇太くんが好きだ』と言っても、笑われないようなアイドルになってください。

 

これまでの10年、私は貴方にたくさんの願いを掛けていたし、これからの10年も貴方にたくさんの希望を託してしまうでしょう。

それでも、私が貴方に何かを願う時、無理だろうと思って願うことは絶対になかったです。

貴方が贔屓なしに歌が上手いと言えるようになると思っていた。

貴方が平野紫耀や髙橋海人の間で踊ってもダンスが上手いと言えるようになると信じていた。

貴方が大歓声を浴びてデビューすることを疑っていなかった。

 

そして今は、貴方が世界的なスターだと贔屓なしに言えるようになることを、信じて疑っていないです。

 

この願いは、ファンではない人には無理だと言われてしまうかもしれません。

でも、私は信じているし、貴方は叶えようとしてくれる。

 

ジャニー喜多川が最後に送り出したアイドルは、ポケットに手を突っ込んで立っていても歓声が上がるような、何があってもショーを続けるような、世界を股に掛けるような、スターになる。

 

夢を見過ぎでしょうか。

でも、アイドルというのは夢を見せてくれる存在だし、貴方たちにとってこの願いは、単なる夢や目標じゃなくて、約束だから。

 

もちろん、貴方1人では無理かもしれない。

貴方には最強の仲間が5人もいるのだから。

 

信じて疑ってないよ、神宮寺勇太くん。

 

10年後の貴方は、どこで、どんな歌を歌っているのでしょうか。

東京ドーム、新国立競技場、もしかしたら、アメリカやヨーロッパのステージで。

 

ここまでの10年間は長いようで短かったから、貴方が遠くの国でライブをする日もすぐきてしまうのでしょう。

待ち遠しいです。

私たちファンの夢が、貴方の夢が、叶うのが待ち遠しいです。

 

たとえ、その瞬間を自分のこの目で、見ることが出来なくても。

 

まぁ、別に私のことはいいんですよ。

たくさんの声援をもらって私が声をあげなくてもよくなったって。

私が生で貴方を見る機会がめっきりなくなったって。

 

寂しくなる時もあるかもしれない。

でもやっぱり好きだから。

会えないっていうだけで、遠くにいるからってだけで、嫌いになったり出来ないです。

 

元から近くもなかったわけなので、貴方がどこまで遠くに行ったって、対して変わらないです。

だから、距離が遠くなって悲しんでるファンもいるかなとか、貴方が気を揉む必要はないです。

今の貴方を、応援できる人が、応援しています。

 

10年後の私が、貴方を応援できる人でいれますように。

それは、私への願いです。

 

気力、体力、経済力、全てが貴方を好きだという気持ちについていけていますように。

全てを捨ててまで貴方を応援するつもりはないですが、自分の大切なものと、貴方への気持ちとのバランスが上手にとれていますように。

 

10年後の世界はどんな風に変わっているのでしょう。

誰も想像できなかったスマートフォンの普及、SNSの登場に、新型コロナウイルスの脅威。

この10年で信じられないことがたくさんありました。

誰も予想できないことなんてたくさん起こる。

 

貴方の、予想できないほどの広い未来。

それでも、遠くない未来で、貴方が輝いていることを、いつも祈っています。

 

10年後の貴方は今、笑えていますか?

明日を信じていますか?

 

もがいて苦しんでいたとしても、私たちが伝える「大丈夫」のたった一言だけで貴方が前を向けるなら。

何度だって伝えてあげたい。

私たちがもがいて苦しんでいる時、いつも寄り添ってくれるのは貴方のその歌声と笑顔だから。

 

いつか、貴方の苦しかったあの時の気持ちも、悔しかったあの時の景色も、綺麗で儚い思い出になる。

どうするのが正解だったのかなんて答えは多分この先の未来になってもわからないのだろうから、目の前の今を重ねていってください。

 

貴方が重ねた努力をいつも大切に見守っています。

貴方が歌った歌をいつも大切に聴いています。

貴方が紡いだ言葉をいつも大切に覚えています。

 

私は貴方が死ぬ時が貴方のアイドル人生の終演であることを信じているので、私の見ている努力や歌や言葉が、貴方の人生のほんの一部だったのとしても、それを見せてくれることが嬉しいです。

 

50年後か30年後か、はたまた明日かもしれない最後のその日まで、貴方を見守っていられますように。

 

いつも、貴方の幸せを願っています。

永遠に同じものが好きなんてことはないからせめて、10年先の未来も、そう思えていますように。

 

23歳という若きこの1年を大切に過ごしてください。

誕生日おめでとうございます。

 

 

時代の王者になる君たちへの免罪符

5月23日になって思うこと。


また、この日がやってきた。
5月23日はKing & Princeのデビュー記念日。
2020年の今年は、2周年だ。

2018年にデビューしてから、毎年やってくることになったこの記念日。
去年は1年目だったからすごく感慨深くて、自分が神宮寺勇太くんを好きになってから今まで、彼に感化されて夢を叶えるまでのブログを書いた。

もう、これ以上、書くことなんてないって思った。

きっと次にこんな想いを込めた文章を書くのはもっと、未来になると思っていた。
5年後とか10年後とか、もっと未来。

でも今年は、過去を振り返ってとかじゃなくて、今、思ったことを書かなきゃって。

 

私は、いつ来るかわからない終わりを怖がっている。

彼らの人生が終わるまで、ずっと続いていくと思っていた嵐の活動が休止した。
ずっと当たり前のようにいると思っていたジャニーさんが亡くなった。
絶対帰って来ると信じている岩橋玄樹の復帰が見送られて1年半経った。

私たちは、彼らの何をみているんだろう。

 

姿が見れなくなったら、終わりなのか。
声が届かなくなったら、終わりなのか。
アイドルとして存在がなくなったら、終わりなのか。

 


今、私は、神宮寺勇太くんが死んだ時のシュミレーションをしているとさえ、思っている。

徐々に減っていく彼を見る回数、自粛前に撮影されたであろうテレビ番組の放送、宙ぶらりんのまま発売が延期されていくシングル。

怖いって純粋に思った。

人が人のことを忘れる時はまず、その人の声が思い出せなくなるらしい。
大丈夫、私はまだ、勇太さんの声を思い出せる。

毎日、声を思い出すようにしてる。
曲聴いて、あ〜これこれ、じゃなくて、ちゃんと自分の力で思い出せるように。

死んじゃったら、こんな感じなのかな。
実際、私は神宮寺勇太くんと会ったことも話したこともないから死んだって何かあるわけじゃない。
連絡だって私がファンクラブに入ってなかったら来ないし、葬式に行って遺体を目にすることなんて絶対ない。

じゃあ、勇太さんが死んだら、私は。

このまま、なのかな。

徐々に勇太さんを見る回数が減って、出演したテレビ番組の放送も無くなって、シングルは、発売されない。

私は、勇太さんの声を、CDを聴かないと思い出せなくなって、そんで、

 

 

 

怖くねえか。
それってものすげえ怖いことなんじゃねえの。


本当にいなくなっちゃうって、どうなっちゃうんだろう。
怖いよね。
わかんないものって怖いもん。

もしかしたら誰かが彼らを殺す可能性があるって、久々に思った。

思い出したくもないけど、ライブで水鉄砲かけられた時もそう思った。
あれの中身がもし水じゃなくて、やばい液体だったら。
ゾッとした。

彼らも人間なんだった。
死ぬんだ、いつかは。

じゃあ、彼らが死ぬまでに、私はなにができるんだろう。


実際死ぬまでじゃなくても、アイドルの存在として死ぬまでに。


心の支えとして彼らを頼ってちゃダメなんじゃないか。

何かできるって言っても彼らに直接作用する事じゃなくて、自分に対して、だ。


結局私たちは自分たちの精神的支柱として彼らをみている。
それは平野紫耀がアイドルを続けた理由として話してくれたように、アイドルの仕事として重要なものだ。

 

私は、できる事なら過激に生きたいと思っている。
人生は一回しかないから、楽しい方がいい。

 

好きなものは大事にしたいけど、そのせいで縛られてしまうならいつでもどこでも何かを切り離せる人間でいたい。


たとえそれが、自分の人生を変えたものであっても。 

 

好きなものを手放したとしても、自分を持っている人でいたいと思う。

「アイドルも人を救うことができる」
っていうのは多分、辛くて辛くてしんどくて、自分の大事なもの全部なくなって、何を大事にして生きていったらいいのかわからなくなった時に自分に笑いかけてくれたり、励まそうとしてくれてる人がいるって気づくきっかけになるってことなんだと思う。
それは自分はひとりじゃないって、世界は案外明るいって、自分には未来があるって思える様になるきっかけだと思う。

 

でもそれは、窮地をアイドルに救ってもらっただけで、アイドルを心の支えにするってことじゃない。
彼らはなくなったら生きていけなくなるような支えになりたいわけじゃない。

 

彼らがいなくなっても、私たちは生きていかなきゃいけないから。


何かに、誰かに、想い入れることは決して悪いことじゃない。
何も信じないよりいい。

でも、自分の理想・イメージ・期待をアイドルに押し付けるのは違う。


私は、愛することは許すことだと思う。
近づいても、離れても、いなくなっても。

これは図らずしも神宮寺勇太くんの愛の定義と同じだった。
愛することは許すことだ、と彼も言ったんだ。


ねえ、神宮寺勇太くん。
そういうことなのかな。

 

私がたまに思い出す彼の言葉。

「本当に好きな人ができるまで、俺のことを好きでいればいいよ」

少し前の私は『本当に好きな人が貴方の場合は、どうしたらいいの』とか『貴方は私の中でそんな、隙間を埋めるための消耗品じゃない』って少なからず思ってた。


言葉を言葉の通りに受け止めすぎてた。

 

私は去年のブログで『好きな時に俺のことを応援してくれればいいよって、そういうことだと私は解釈した』って書いた。

まぁ、そういう意味だとは思うんだけど。
もっと深いところまで見せてくれた一言だったんじゃないかなって。


いいよってことは、許してくれるってことだ。
例え俺のことを好きじゃなくなったって、もっと好きな人ができたって、俺は君のこと許してあげるよって。

それは悪いことじゃないよって、教えてくれたんだ。


神宮寺勇太くんだって、終わりが怖くないわけじゃない。
誰だって興味をなくされるのは怖い。
アイドルにとって興味をなくされるのは捨てられるのと一緒だ。

 

だけど彼は、もっと大事なものができた時に切り離すべきは実際に何か影響してくるわけじゃないアイドルだってわかってる。

大事な人ができた時はアイドルに使っていた時間をその人への時間にすべきだし、自分に必要な投資ならアイドルに使っていたお金はそっちにまわすべきだし、もっと楽しめるものが見つかればそれを楽しむべきだ。

 

自分のファンを辞めて欲しくなんてない。
みんなの声が大きくなって、自分がもっと大きくなれば、きっと、昔は救えなかった人まで手が届く。

 

それでも、身を滅ぼしてまで自分を応援して欲しいわけじゃない。大事なものを捨ててまで自分を選んでほしいわけじゃない。  


勇太さんのあの言葉は、人生において大事な決断をする時に、自分を切り離すことを選んだとしても許してあげるよってことなんだと思う。

 

それって、すごい愛じゃないか。

 

私は基本、浮気を許すタイプだ。
浮気をしても自分のところに戻ってくればそれはいろいろ寄り道したけど結果としてお前が1番だよってことだと思うし、戻ってきてくれるなら許す。
それが愛だと思うから。

 

でも勇太さんは、戻ってこなくても許してくれるって。

 

確かにアイドルとファンの関係と恋人や夫婦の関係は全然違うけど、勇太さんがファンに向けている愛情は本物だと思う。

 

許しの言葉は、企画やコンサートの時に言う甘い言葉よりも、ずっとずっと、愛を感じる。

 

それなら私も、彼を許したい。

世間的な彼のイメージを壊しても、
残念な行動をしてしまっても、
特定の誰かを愛してしまっても。

 

志半ばで死んでしまっても。

 

私は甘く愛を囁くような愛し方ではなくて、ただ相手のために紅茶を淹れるような愛し方をしたい。
緩やかで、暖かくて、相手が受け入れてくれなくてもいいような、そんな愛し方。


それは正しく、許すことだと思う。

 

私が相手のために紅茶を淹れて、それを相手が受け取らなくても許してあげられる愛し方をしたい。
それはきっと自分にもいいはずだ。

 

過度に相手に期待しない。
期待を裏切られても、許してあげられる。
そんな愛し方。

 

まぁ、そこらへんは神宮寺勇太くん及びKing & Princeのメンバーを信頼しているので、私の期待なんて裏切るどころか軽々超えてくるとは思っているんですけども。

 

彼らはきっと近い将来、世界に進出する。
無言実行もできる彼らがわざわざ言葉にして目標にしてるんだ。

 

ジャニーさんとの約束って、言ったんだ。
約束を破るような彼らじゃない。

 

その約束を果たした時、どうか、彼らが遠くへ行ってしまった、手が届かなくなってしまった、なんて、言わないであげてほしい。


その時こそまさに、愛しているなら許してあげるべき瞬間だ。

 

元々遠い存在の人だ、元々手なんて届いてない。
近いと思わせてくれてただけだ。

日本にいようが世界にいようが、彼らと私たちの心の距離は変わってない。

 

私たちが許してあげなくても、彼らは前に進んでいく。
苦しいのは私たちだ。

 

彼らのために、彼らを許してあげるべきだって言ってんじゃない。
自分のために、彼らを許してあげるべきだ。

彼らに過度な期待を寄せてしまった自分のために。

 

それなら、私にもできる。


近づいても、離れても、いなくなっても、許してあげることは私にもできるし、それができれば私はいつでも大切なものを切り離せる人間になれる。


平野紫耀くん、あなたがもし時代の最前線を走れなくなる事態になったとしても。
永瀬廉くん、あなたがもし努力に裏切られてくじけそうになったとしても。
高橋海人くん、あなたがもし多数に愛されるが故の寂しさに負けそうになったとしても。
岸優太くん、あなたがもし純粋な心を汚されそうになったとしても。
岩橋玄樹くん、あなたがもし愛情に潰されそうになったとしても。

 

神宮寺勇太くん、あなたがもし私たちが離れることを許してくれない日が来たとしても。


私は、あなたたちを許せる人間でありたいです。

 


King & Princeは世間から見ればまだまだ駆け出し。
名前だって覚えてもらえてない人も多い。
グループとしての名前は知っていても個人の名前は知らなかったり。
これからどんどんファンが増えていく。

 

ファンが増えれば増えるほど、気に入らないこと期待外れなことが増えていく。
期待外れなことはアイドル自身の問題だけじゃなくて、増え続けるファンに対してもだ。


学生の子たちは、私の方が先に好きだったのに突然クラスの明るい子がハマってキンプリオタクといえばその子みたいになっちゃってる、とか。
大人たちは、自分の世代とは価値観の違う若いオタクがたくさん出てきてTwitterもコンサート会場もなんだか居心地が悪い、とか。
新規は、自分が応援してなかった時代を知る人たちがたくさんいて腰を低く保つのも辛い、とか。
古参は、思い出話をしようとも昔のことを言うだけで古参ぶってウザいとか思われたらどうしよう、とか。

 

好きになってまだ年月が浅かったら謙虚に勉強させてもらいますって姿勢でいてほしい?
私の知らないことをさもよく知っていますみたいな顔をしないでほしい?

 

尊敬しあえなければ人は一緒にはいられない。
それは他人の自由を認めて、理解しようとするってことだ。

 

確かにどれだけ理解しようとしても分かり合えない人間もいる。
そういう人たちとはもう距離を取るしかない。お互いのためにだ。

 

でも相手の言動が理解できない訳じゃないのにすごく気に入らない時は多分、自分に原因があって。
自分のポリシーとか過去の経験、いろんなことを踏まえて、気に入らないなって思ってしまう。


それはこだわりが強くてそれに背く行為が気に入らなかったり、過去に痛い目をみてそれを思い出すから気に入らなかったり、憧れや嫉妬だったり。

 

許せないんだと思う。
相手は自分の許しなんて必要としていない。
許しが必要なのは自分だ。

 

自分で自分の首を絞めてる。
自分で自分を不快にしてる。

 

許してあげることは自分のためだ。
アイドルのことも、仲間のことも。

 

 

 


King & Princeのみんな、デビュー2周年おめでとう。


去年に比べたら圧倒的に知ってる人も知られてる曲も増えたね。
とても嬉しいです。


わたしが夢を叶えて入った会社でもキンプリって言っても伝わるようになったんだ。
会社の人にテレビ観たよとか言われるんだ。

 

鮮烈なデビューから2年。
もうこれからの3年目は駆け出しとか新星なんて言葉は使えない。

 

たくさんの人が君たちを見てるよ。
君たちは男の子だから努力や苦労をしている姿をカッコ悪いから見られたくないって思うかもしれない。


大丈夫、カッコいいよ。

 

ジャニーズが世界に羽ばたくなんてって、時には雑音も聞こえるかもしれない。
親切を履き違えて、無理だという人もいると思う。
君たちの努力を笑う人もきっと出てくる。

 

でも、そんな声に耳を貸す必要はない。
間違えないで。
君たちの正しい努力は裏切らない。
そのまま進めばいいよ。

 

ジャニーズはチャラチャラしていて楽そうだねって、そう思われてるぐらいがちょうどいいって。
君たちの先輩も言ってた。

 

言いたいヤツには言わせてこう。
勝手な奴らには時々、見せつけてやるんだ。


何か、圧倒的なものを。

 

君たちは、存在自体が圧倒的だ。
いつかポケットに手を入れて立ってるだけで歓声があがるようなスターになる。 

 

その時、私たちファンのことを気遣って立ち止まったり、ファンの言葉が聞こえてきて振り返ってしまったり、そんなことはしなくていいよ。

 

君たちを応援できる人が、応援してる。
信じて、許せる人だけが応援してる。
ついてこられない人たちは置いて行ったっていい。

 

大丈夫。
私たちは君たちを信じて、許しているよ。

 

何も気負うことはない。
君たちは自由にやればいい。

 

2020年。
ジャニーさんが待ちに待っていたこの時代。
この時代の王者になるのは君たちだ。

 

ブラック校則 5話まで 考察

5話観ました、あろです。

ブログを読んでの沢山の方の考察も読ませていただきました。

楽しいね考察。

 

 

 

前回のブログで記述しましたが、ちゅうやのモチーフはキリストではないかという要因に、ラップの歌詞も若干入ってきましたね。

「戦国時代の鉄砲部隊の撃ち合い」

日本にキリスト教が到来したのは戦国時代。

弾圧等も戦国時代から。う〜む。

 

また、あずまの曲の音源をちゅうやが持っていることをそらは知らなかったので、このレジスタンス部の集会は演説の前ではないかと推測。

 

また、ちゅうやのラップで「俺は0じゃない」というリリックが含まれるのも気になります。

これはまだ他のこととの関係とか調べてないですし、なんせわたしは数学が苦手なので給料の数式から何かを紐解くのもわたしにはしんどいですすいません(放棄)

 

ちゅうやがあずまくんを工場に連れて行った際に井上が「なんだちゅうや、また新顔連れてきたのか?」と言ったのも気になります。

そらを連れて行ったのがちゅうやだということだとしても、ちゅうやはそらより先に工場に行っていたことになるので……???

 

あずまくんのラップに「ノート見られたの こないだのこと」という歌詞から映画でのノートを見られたシーンの後日と推測。

 

そらが「人が殴られてるの初めて見た」と言ったので、覚えてない…けど…(低脳)映画で誰かを殴るシーンにそらがいるのであれば時系列の推測ができそう(誰か頼んだ)

また、ストライキの日はちゅうやがバイト休みなのでそれも時系列推測に使えそう。

 

工場でのストライキを目撃したことねがちゅうやとまおもいるにもかかわらず、「そら?」とそらだけに注目したことからやはりそらが気になる様子。

 

レジスタンス部チャットで白雪姫がストライキの動画をあげ、「これうちの生徒じゃない?」と発言したことにより、白雪姫はことねでは?という考察が死ぬほど沸き立っているが、動画はSNSにアップされ、かなりの数で反応をもらっているので動画をアップできるのはことねだけではないと推測。

そうなると誰でも動画をあげることができるので、ミスリードを誘っているのか?

 

 

あと、4話までまた見返したので、そこでメモったことを記述。

 

1話

 

ちゅうやはこの集会の日まであの署名ボックスをそらが作ったということを知らなかった様子。

 

革命行動をする前のそらは学校で空気のような存在なのに、ことねはそらに署名ボックスのことを言いに行く。

ことねは革命行動をする前からそらを認識している。

 

森先生が初めて(多分)まおの家に家庭訪問。

大田和とのやりとりから同日と思われるが、学校と家庭訪問でスーツ、ネクタイが違うのはなぜ?

 

森先生は署名ボックスをきらりに預けたとそらに伝えるが、ボックスの中身を見たかは未確認。

 

そらは帰宅後、カバンの中からサイトURLが書かれた署名の紙を見つけるため、犯人は紙を机の中ではなくカバンに入れたと推測。

最終予告での誰かが誰かのカバンの中に何かを入れるカットは、誰かが署名したメンバーのカバンの中に紙を入れるカット??

 

ちゅうやが革命家の特徴でチェ・ゲバラを挙げる。

チェ・ゲバラは医学部に進学したりと理系だった模様だが、数学が得意という情報はない……まぁ、理系なら得意なのかな……??

チェ・ゲバラの言葉で「自分はキリストとは正反対だ」「真の革命家は偉大なる愛に導かれる」という言葉が残っているのでそれはかなりそらのイメージに当てはまるな〜〜ふむふむ。

また、メキシコからキューバへ反乱軍が上陸した際に生きて上陸出来たのは12人という情報もあるため、また12という数字が出てきて頭を抱える。

 

第2話

 

テスト返却日は10月18日

 

ちゅうやの学年出席番号は2年2組22番で2縛りなのが気になる。

この回でしっかり出席番号が映っているのはちゅうやだけなのでなにかあるのかな??

最終予告にてそらが2年2組8番であることが判明。

 

きらりの陸上ノートからそらが部活中のきらりに声をかけたのも10月18日。

 

ちゅうや、雨どいを運ぶのを手伝う。

ウルフのメモと思われるものが映るが、バケツの名前といい、字が上手いな〜〜。

この時点で筆跡で誰か特定できそうなのはバージニアウルフのみ。

 

10月29日が流しそうめん

のため、10月28日がまおによる大いなる実験の日と推測。

 

「今日のきらり最高だったな」からの会話からレジスタンス部5人は全員2組であると推測。

「明日、最高のランチを持ってこよう」からクールなランチの日は10月30日と推測。

 

 

第3話

 

 

タピオカ屋に並んだ日、そらはまおと初めて話したと発言。

その日、ちゅうやバイト。

 

そら「俺は偶数とか奇数とか、3で割り切れるとか関係なく余る」

この発言気になるけど数学が苦手なので(以下略)

 

ちゅうやのバイトがばれて生徒指導室で怒られたのはレジスタンス部集会の前。

 

ちゅうやの言葉から白子パンを作ったのはホルモンパンの前の月。

1つだけ売れる→買ったのは白雪姫

 

ここまでくると店長とそらがビリヤードをするのにも意味があんのか?と思うが、ビリヤードに詳しくないので検索。

 

ビリヤードは15の玉があるが黒い玉は8のみ。

番号順に落としていき、8を落とした方が勝ちというエイトボールの遊び方もあるが、遊び方的に二人がしているのはナインボールのようだ。

ん〜〜そらの出席番号……の意味……

 

パンフェスは11月9・10日。

 

また、生徒指導室でのお叱りの日と逆ハロウィンの日は同日。

ちゅうやは時期を問わないと発言しているため、10月30日以外の日〜〜11月9日までのどこかと推測。

ちなみにハロウィンはキリスト教の祭りではないので逆ハロウィンというフレーズにしたのか??と考察。

 

 

第4話

 

5匹の猿の実験

→これは実際に行われた実験ではないらしい。

Gary HamelとC.K.Prahalad著の「Competing for the Future(未来のための実験)」に記述されている仮想の実験のようだ。

 

ちゅうや「署名したのは5人。おそらくそれを知った誰かがサイトに5人を招き入れた」

→6人目の存在を示唆。

 

ななちゃんとちゅうやが一緒に下校したのは放課後にグラウンドが使えない日。

そんな日あったっけ??今後出てくる??

 

3000メートル競争

ミチロウ「お前が負けたら署名したメンバー調べてこい」

→ちゅうや「やっぱりミチロウはメンバーわかってない」

そら「でもあの5人の中に署名をみた人がいる」

 

!???????

 

ん!!???どゆこと!???

何故それを確信できる????

そらは5人の中に5人を集めた人がいると思っている??

しかし、その前の「5人を知っただれかがサイトに集めた」とちゅうやが……

5人を知った誰か、が5人の中にいる可能性はあるが、断言できるほど確信はないじゃん!?

レジスタンス部は五人だとミスリード誘ってる??(混乱)

 

ななちゃん「卒業までの1年半、ミチロウくんに逆らって生きていかれへん」

レジスタンス部に入ることはミチロウへの裏切りではないのか??

もしかしてななちゃんはレジスタンス部のメンバーをあぶり出すためのスパイ??

いや〜〜考えすぎだなこれは。

 

チャットから3000メートル競争の次の日がそらの自転車通学日。

しかし、この日まで校舎裏の署名ボックスは残っている……のはなにか意味がある??

 

 

ん〜〜なぞなぞなぞ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブラック校則 映画&4話まで 考察

 

ブラック校則に脳みそ支配されたあろです。

 

ドラマ4話まで、Huluオリジナルドラマ2話まで、映画のネタバレをかなり含んでいる考察です。

むしろ全て観ていないと意味わからないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

まずレジスタンス部メンバーの考察

 

アバターのいるメンバーとしては、ちゅうや・そら・まお・きらり・ななちゃんではないかと考えられる。

ドラマ2話で最高のランチを持ってきた描写があるのはそら・ちゅうや・まお。

まおは流しそうめんの前の昼ごはんも笹の葉で包まれたおにぎりを持参しているが、Huluオリジナルで母親の手料理を食べて「和食を作らせたら世界一だね」と言っているので、彼女にとっての最高のランチは母の和食なのではないかと推測。

また、きらりは母親の作った弁当を持参しており、チャット上でちゅうやからの「今日のキラリ最高だったな」という発言に「そうかなあ」と1人だけ否定的な返しをしていることから(太郎=きらりと仮定)最高のランチの提案には乗らなかった模様。

 


あまおう、S・ラーモンはちゅうや、そらで確定。

太郎は五七五で話すことからきらりでほぼ確。ちゅうやにファーストネームで呼ばれることを強く拒む描写があるため、身バレ防止も含めてあのキャラメイク、名前なのではないか。

白雪姫は、ななちゃんでほぼ確一歩手前ぐらい。ななちゃんがレジスタンス部メンバーであることはドラマ4話で自転車通学したことから確実。

映画でまおの停学の取り消しが決まったシーンで歓声をあげて喜んでいたのも要因。

白雪姫→7人の小人→七浦が名前の由来?

またチャット中に出てきた、もう1つの名前の案が「カトリーナ」であったこととななちゃんとの繋がりは不明。(ハリケーンカトリーナ台風11号であるため安直に7繋がりではなさそう)

しかし、いくら身バレ防止とはいえ壁の落書きですら関西弁が出てしまうななちゃんが女の子のキャラであの喋り方が出来るのかという疑問が残る。

また、白子パンを買った1人は白雪姫であることからちゅうやがドネでバイトしているのを学校に言ったのは白雪姫ではないか?

その白子パンのくだりで仮想空間上でXから白雪姫に向かって凸のような形をした何かが投げられているのも謎。

 


Xはメンツ的にまおかな…と。

キャラメイクをまおのパパに寄せていることからサイトを立ち上げた時点でまおのパパのビジュアルを知っている人ということになる。

映画でまおのぱぱの画像を見たときに、三池ことねは驚いていたのでXが彼女の可能性は低い。

 


そして、サイト運営というレジスタンス部6人目が存在するのではないかという推測。

huluオリジナルでまおが解いていた生物のテストの回答欄がA〜Fの6つでFが空欄、6人目の存在を指し示している?

まおはEの回答である「擬態」が自分に求められていることだと言うので回答欄にはメンバーそれぞれに当てはまる単語が入っているのではないか?

(ちゅうやが破壊だったら最高だなとわたしの友人は性癖を暴露してきました)

また、そらが自力でみつけた完全数の最初は6であることも最初の6人というのを指し示している?完全数は、6、28、496と繋がっていくが、最初は6人として、そらのクラスは30人、全校生徒は約500人、人数の広がり方が近いというのも気になる(気にしすぎか?)

 


サイト運営者として今のところ可能性があるのは、森先生・可能性は微かだがきらり・バージニアウルフが挙げられる。

サイト運営者はあの署名ボックスの中身を見れた人間と限られる。

中身を見れたのは、ボックスを預かった森先生、生徒会長のきらり、ボックスは校舎裏に捨ててあったので、それを不審がられず拾える人間としてバージニアウルフを挙げておく。

 


サイト運営者がきらりの可能性はかなり低い。捨てられているボックスの乱雑な開け方、捨て方的にきらりではないだろうと推測できる。

 


またサイトが公開された日から手代木の暴力動画がアップされていたことから運営者はミチロウではないかという考察もあるが、ドラマ4話のミチロウの賭けしようぜ以降のセリフを信じるならばミチロウは署名をした人物を特定できていないので、ミチロウの可能性は低いのではと推測。

 

三池ことねがPCに強い描写もあったが、署名ボックスを見れたという証言もなければレジスタンス部をつくる決定打がないため今のところ可能性は低い。

 

 

また、定規で文字を書いているため、筆跡で特定できる可能性のある人物とも考えられる。

 


ミチロウは最終予告での「WE FIGHT FOR OUR FREEDOM」のカットで顔が映っていないこと、あとこれは本当に気づいていなくて多分田中樹のオタクしか気づかんだろと思ったけれど映画のいちごサンドを食べながら校門に入っていくシーンにミチロウがいないらしい。

またミチロウは動画という武器を持っているのにななちゃんの自転車通学許可のいざこざを自分で言いに行けと突き放しており、ちゅうやも「優遇されているのはどうやらミチロウだけ」という発言をしているので、ミチロウは戦う側の人間ではないのでは?という推測。

 


ミチロウにはまだ謎が残っていて、映画でそらが動画を持っていると嘘をついた時にそれにノッたのはなぜなのか。

そらが非常ベルを鳴らした時に後ろで見ていたはずなのにすぐさまそらを拘束しなかったのはなぜなのか。

そして、田中樹のオタクがまたまた活躍だが、壁の落書きにある「ここは刑務所」を読み上げているのはミチロウの声では?という考察が上がっている。そうだとしたら、戦う側ではないのに壁に落書きをしたのはなぜなのか。

 


また、三池ことねについてもまだドラマで取り上げられていないので謎は多い。

なんとなくでしかないが三池ことねはそらが好きなのではないかと考えられる。

空気のような存在であるそらをしっかりと認識し、インスタ映えのためと言いながらそらを遊びに誘ったり、マラソンの際はまおの視界に入るように追い抜いたり、その後わざわざそらに声をかけたり、それに対するちゅうやのセリフは「意地悪だな」ではなく「いじらしいな」であるのも引っかかる。

映画の見せ場、きらりが陸上、ななちゃんが野球、漆木がバスケで各々個性を発揮する中で三池ことねはPCに強いという描写が入るのもまだ理由がわからない。

 


最終予告での謎も多い。(今後のドラマの展開で解決する謎?)

ちゅうやが神の啓示だという「Time heals」という壁の落書きをまおが書いているカットはまおがちゅうやの神であることを示している?

しかしまおは何故中学校時代、病院にいて、壁にそれを書いた?

 


かんざしの入っている箱を誰かが誰かに渡すカット。

渡しているのはシャツを着た男性の手で、受け取っているのは制服のようなものを着た女の子の手に見える。

田母神先生の元カレは先生で、すでに田母神先生は先生と生徒という禁断の恋愛を経験している?その苦しさを知っているからちゅうやの告白を冗談と受け流さずに真剣に受け止めて瞬時に断った?

 


予告の「物語に散りばめられた伏線」というセリフで映る複数のカットも気になる。

 


・そらの英語のテスト、48点。

→そういえばちゅうやのテストも48点だった…同じ点数であるのはなにか理由がある?

・誰かのカバンに素早くなにかを入れる誰かの手。

・視聴覚室のような暗い空間に集められている生徒たち。

・夕暮れの海で対峙しているそらとまお。

・5つ減っているいちごのパック。

→ちゅうやがレジスタンス部5人にあげた?

・田母神先生のかんざし

・F「立ち上がれ今だ早く」のメモ

 


クゥ〜〜わからんことだらけ!!!!

 


あと考察をツイッターで漁っていて、これは天才じゃんと思った考察がある。

しかし、それに関することを色々調べて、ほぼ確では?と思い、ツイートした方に掲載の許可を得ようとしたがツイ消しされたようでどうにもそのツイートが見当たらなかったので掲載許可が取れていないが、とりあえず私が考えついたことではないことは書いておく。

 


ちゅうやのモチーフはキリストではないか

 


という考察。

 


マジで天才。

 


その方は考察の要因に

・パン分け与える行為

・苺の花はマリアの象徴

・人を導くが見返りを求めない

・導いたものにはしっかり刺さっている

・神の啓示を受け取った

というのを挙げていたが、私はそれに

 


・5つのパンと2つの魚、12の籠の話

・壁の落書き「コイツ宗教家にでもなる気?」に切ない顔をする

・ドネ(与える)という名前のパン屋で働いている

・田母神先生が好きである

 


を加えたい。

 


5つのパンと〜〜は、新約聖書の奇跡物語だがそれはかなり派閥で読み解き方が違うらしい。

大筋をいうと、キリストが5つのパンと2つの魚で12の籠をいっぱいにして5000人に分け与え、養うという奇跡の話。

5000人が5つのパンと2つの魚で満腹になるわけはないので、キリストは神の子だから増やせた説とか、5つという数字はキリストの五体を表し、パンというのはキリストからの言葉を、2つの魚は2人の宣教者を表していて、キリストからの言葉を2人の宣教者が5000人に分け与え、人を真に養うのは神の言葉である説とかまぁいろいろある。

 


5つのパン

レジスタンス部の5人?

   また、ちゅうやは作中で創作パンを複数作っているのでその種類が5種類あればかなり繋がる(今のところ白子パン、ホルモンパン、いちごサンド)

そして「与える」という名前のパン屋さんでパンを作っている。

 


2つの魚

→2人の宣教者であることからちゅうやから言葉をもらい全校生徒の前で演説したそら、東くん?またはそらとちゅうや自身も考えられる。

 


12の籠

→単純に考えて、ドラマが12話あれば12個の籠がいっぱいになるという話?

12の籠はイスラエルの十二支族であり、十二使徒を象徴しているという説がある。

十二支族はノアの箱船の子孫。

十二使徒はキリストが多くの弟子から選んだ12の弟子。

うーん……そら、まお、きらり、ななちゃん、うるしぎ、ことね、あずまくん、田母神先生は含めるとして、森先生、ミチロウ……12人…足りねぇな……

ということで考えすぎなこともありえる。

5000人に分け与えるだが生徒の数は500人。

5000人だとマンモス校過ぎだからな〜🤔

 


田母神先生が好きであるということはかなり要因として大きいと思う。

まず名前に母神とついていることからマリアが田母神先生であると考えられる。

「farewell dear M」マリアの頭文字もMであることは偶然かもしれない。

わざとだったらスゲーマジで。

 


そうなると聖母マリアはかなり年の離れたヨセフと子供を授かっているため、やはり田母神先生は教師と生徒の恋愛をしていた説が出てくる。

 


中世美術の聖母の絵にはよくいちごが描かれる。

五月は一年のうちで一番月が美しいため、聖母の月と呼ばれ、その年で最初の果実「いちご」が実る。

いちごはマリアの訪れを思い起こさせ、次に12の果実を表す。と……

また12だよ……カァーーーーーッッッ!!!

昔からいちごは、完全な公平のシンボル、もしくは心正しき人の善行を表すと。

ふむふむ。かなりちゅうやのイメージに近いな〜。

 


神の啓示を受けたこと、壁の落書きの不満に一つ一つ言葉を投げかけたことはかなり胡散臭くて宗教っぽい。

いろんなことがかなりしっくりくる。

 

考えすぎとしてはかなり要因が多い……ねぇ〜〜だれか正解教えて〜〜!!!!

 


あと、バージニアウルフの話だけれど、バージニアウルフを知らなかった私は検索したわけです。検索候補の一番下には「バージニアウルフなんかこわくない」とでてくる。 

 

???

 

どうやら「バージニアウルフなんかこわくない」という戯曲が存在するらしく、3匹のこぶたの挿入歌「おおかみなんかこわくない」を置き換えたもので劇中で駄洒落として登場するらしい。

3匹のこぶたの話は知っていると思うが、藁と木で作った家はオオカミに壊される。しかし壊され方に諸説あるっぽい。

どちらの家も息で吹き飛ばされたり、藁の家は燃やされて木の家は体当たりだったり、藁の家は吹き飛ばされて木の家は燃やされたり。

そう、オオカミに「燃やされる」筋書きもある。

 


オオカミと燃やすといえばバージニアウルフ。

3といえばミチロウ、うるしど、ななちゃん。

3人は悪いことをするとき、よく校舎裏の階段の上にいる。そこが隠れ家といっても良い。

バージニアウルフが最後に隠していたゴミを燃やすシーン。場所は校舎裏、階段の下。

 

キャーーーーー!!!こじつけっぽい!!!

 


まぁ、今後の展開でわかる。

謎って考えてる時間が楽しいから、外れた〜!!ってなるのも醍醐味よ。


とりあえずドラマ4話、Huluオリジナル2話、映画をみた考察。

今後で謎解けるといいな🥰

増えると困るな🥰

神宮寺勇太くん、22歳の誕生日おめでとうございます

 


神宮寺勇太くん、22歳の誕生日おめでとう。

君に出会ってから9回目の誕生日。

 


歳を重ねれば重ねるほどかっこよくなっていく君に、私は少しでも感謝を返せているかな。

 

 

 

 

 

 

毎日お仕事頑張ってくれてありがとう、輝いている君の姿、いつも見てるよ。

 


一歩一歩前に進む努力をしてくれてありがとう、歩いていく君の足音、いつも聴こえてるよ。

 


ファンやお仕事のことをいっぱい考えてくれてありがとう、思考している君の言葉、いつも感じてるよ。

 

 

 

今日は君の誕生日だから、たくさんの愛と感謝を伝えたいよ。

 


毎日頑張ってくれてありがとう。

アイドルという職業を選んでくれてありがとう。

生まれてきてくれてありがとう。

 

 

 

私が神宮寺勇太くんを好きになったのは中学生の頃で、あの時の私は本当に君に救われていたんだ。

 


誰かの誕生を祝う時、それは生まれてきてくれてありがとうって思う時で、いつも、命のことを考える。

 


生きることってなんなんだろうって。

 


私は誰かの生命を考える時、自分の価値を考える。

 

 

 

 


突然だが、私は軽度のアスペルガー症候群だ。

私が社会で生きづらいのはそれだけのせいじゃないけど、自分と社会とのズレに1つ名前がついたのは有り難かった。

 


私は両親に愛されているし、父は受験勉強している私を遊びに連れ出したりする愉快な人だし、母が教育で心がけていたのは姉と私を比べず平等に接することだったから家族の中で息苦しさも劣等感も感じることはなかったし、姉はいつも楽しいことを私に教えてくれたし、友人にも恵まれているから自分が不幸だと思ったことはない。

 


だから自分と社会のズレを露呈して自分が不幸みたいにアピールするのは、本当は嫌だ。

自分より不幸な人の方が多いし、私の人生は幸せだ。

 


でも誰かが言わなきゃ、って思う。

しんどかったー、って。

しんどくて、家族の前でも傷ついた顔したくなくて、シャワーで声と涙を誤魔化しながら泣いてた子が、今も生きてるってこと。

 


まぁ、今しんどい子がいたとしてもその子の痛みはその子だけのものだから、わかるよ、なんて無責任に同情の言葉をかけたりはしない。

でもどうか、自分の価値をさげるようなことはしないでほしい。

こんな、今のところアララ〜って人生送ってるヤツでも生きてるし、自分の価値はこれだって思ってることを今から書く。

 

 

 

 


自分に価値ないかもと考えるまでって他人からみればそんなことで?って感じだけど結構しんどい。

 


私は人より心配性ですごく気にしいだ。

そのくせ正義感が強く、いつも人の顔色を気にしてしまう。

アスペのせいか、人の言っている言葉が認識できない時も多いし、言葉に含まれている意味を汲み取るのも苦手で、汲み取りすぎることもある。

 

 

 

小さい頃から漠然と、生きづらいなって思ってた。

小学校の頃は同級生たちと意思疎通が上手くできず突然泣いては周りを困らせていたし、中学の頃は女子生徒全員から無視され、机に死ねと書かれたこともあった。高校の頃は性被害にもあって、言葉にできない違和感から不登校にもなったし、大学の頃は心から信頼していた人間に裏切られたこともあった。

 

 

 

そんな私はよく、自分の価値を考える。

いろんな人に迷惑かけたり、私に危害を与えてしまうぐらい相手に嫌な思いをさせてる自分の生きてる意味ってなんだろ、価値ってなんだろ。

私が生きていることで、世界にどういう影響があるんだろ。

 

 

 

もしかして私、生きてなくてもいいんじゃない?

 

 

 

こういうことって普通の人は考えないんだって、大人になってから知った。

どんな人が普通の人かはわからないけど、普通そんなこと考えないよって誰かに言われた。

 

 

 

で、これがどうして神宮寺勇太くんに繋がるかっていうと。

 


安心して。

彼が私の生きる意味なんて重いこと言わないから。

 

 

 

誰かを好きでいること。

 

 

 

これが生きる意味なんじゃないかって思う。

それは同じ学校の先輩でもいいし、アイドルだっていいし、アニメのキャラでもいいし、ご両親でもいいし、友達でもいいし、自分でもいい。

 

 

 

私はいつも誰かを好きだった。

それは同級生の男の子だったり、嵐の二宮和也だったり、アイドリッシュセブンの六弥ナギだったり、俳優の木村達成だったり、ジャニーズJr.の、Princeの、King & Princeの神宮寺勇太だったり。

 

 

 

どれだけ負の感情を自分に向けられていても私が、誰かに、何かに、好きの感情を向けられていたら、それだけで私の生きる価値になる。

そう思うんだ。

その気持ちに向こうが気づいていてもいなくても。

 

 

 

 


生まれてきてくれて、アイドルになってくれて、夢を見続けてくれて、ありがとうって言えるだけでもいいんだ。

なんでもない日にこんなこと言ったら、あ〜そういう人なんだねってなるだけだけど、今日は君の誕生日だから。

 


いっぱいの愛を伝えたいよ。

 


君に誰がなんて言おうと、何があっても、君を好きな人がここにいる。

 


それだけで君の未来の何かに繋がるし、私の生きる価値も生まれる。

 


ホント、こんなこと書いて何になるわけ?みたいな。

お前がアスぺとかいじめられてたとかマジどうでもいいよ、共感されたいだけでしょって、悲しいこと書くと割とよく言われるセリフ。

 

 

 

すべてを他人に共感してもらえるなら、その人がそこにいる意味ってないのでは?『共感』なんてどうでもよくない?

ってこれは私の好きな詩人の言葉。

 


共感なんてどうでもいいって言葉に共感したってのもホントおかしい話だけど。

多分、この言葉は私に共感すんなって話じゃなくて、みんなに共感されてもそれはお前の価値じゃないし、誰にも共感されなくてもそのズレはお前の生きる意味だぞってことだと思う。

 

 

 

わたしの考えはわたしのもの。

あなたの考えはあなたのもの。

押し付け合うものではないし、どっちが正しいって決めつけられるものでも無いと思う。

 

 

 

神宮寺勇太くんの誕生日はいつも、わたしの人生に現れてくれてありがとうって思う。

 


わたしの過去はわたしが一生負っていく傷。

痛みは消えないけど何かを好きでいる時、その痛みは誤魔化せるんだ。意識の中に紛れていくんだ。

 

 

 

わたしの価値は誰かを好きでいること。

誰かに愛を捧げること。

 

 

 

どれだけ誰かに傷つけられようと傷つけてしまってもその痛みや苦しみは誰かを好きでいれば紛れていく。

忘れることはないけれど、誤魔化せる。

 


神宮寺くんがわたしの人生に現れていなかったら、きっとわたしは他の誰かを好きで、その人への好きで痛みを紛れさせていたのかもしれない。

でも、きっと、小さい、沢山の愛で紛らわしていたとは思う。

こんな、大きな、1つの愛で傷を隠せていたとは思えない。

神宮寺勇太くんはわたしの人生の絆創膏だね。

ちょっと変なこと言ったごめん。

 

 

 

改めて、神宮寺勇太くん。

22歳の誕生日おめでとう。

沢山の人に祝われて、沢山の人を愛し、愛されて、君は成長していくんだね。

 


君の未来が明るくなるように、照らしてあげたいよ。

君が思うより、わたしたちは君のことを思ってるよ。

どうか幸せな22歳を!!